2011年08月25日

セイジュ誕生日おめでとう!!

Happy birthday dear セイジュ!!


恥ずかしながら、帰って参りました。(笑)
という訳で、今年もセイ誕祭企画UPしました。
余裕をもって下書きを終わらせたのに、乙女ゲー「アムネシア」にどっぷりはまっていたらいつの間にか、見直しが超ぎりぎり!!
色んな面で至らない点があったらすみません。

いつものように、今回のお題は「starrytales」様より頂きました。
http://starrytales.web.fc2.com/


内容はこんな感じでございます。

1.無意識の性質の悪さ ケンセイ
http://seisui.seesaa.net/article/222244138.html

2.期待を裏切らない反応 コウセイ
http://seisui.seesaa.net/article/222247807.html

3.限界なんて決めつけないで ユウセイ
http://seisui.seesaa.net/article/222248353.html


はあ、これで一安心です。
posted by 二月 at 12:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 創作日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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お題「限界なんて決めつけないで」 ユウシ×セイジュ

 物語が佳境に入るにつれ、次第にページをめくる間隔が短くなっていく。
 自分達が住む国の前身に当たるニホンの遙か遠い過去を描いた時代絵巻。
 それは、史実の記録と呼ぶにはあまりにもドラマチックで、私はつい引き込まれずにはいられない。
 今読んでいるのは、丁度海上で仇敵である二つの軍が雌雄を決しようとするところだ。
 息詰まる戦いの場面の描写に、私は思わず息を飲む。
 と、刹那。
 少しだけ喉の乾きを自覚して、私はそのまま無造作に傍らにあるテーブルに右の手を伸ばした。
『ユウシ、聞いてる?……コーヒー、ここに置くからね!』
 確か今しがた、恋人にそう声を掛けられたような気がしたからだ。
 案の定、程なくしてテーブルの上を滑らせた指先が、固く熱いカップに触れる。
 しかし、直後。
 ―ーガタンッ――
 注意を本に向けたまま、コーヒーを手に取ろうと考えたのが、どうやら失敗だったらしい。
 不安定な状態で持ち上げたカップは、私の指をすり抜けて、テーブルの上に落下した。
「ッ?!」
 派手な音を周囲に響かせ天板を叩いたアルミのカップは、そのまま倒れ、白い板に熱いコーヒーの雫が飛び散る。
「ッ?!」
 同時に、手の甲に鋭い熱さと痛みを覚えて、私は思わずきつく眉を寄せていた。
「……ユウシ?」
 その時だ。
 異変に気付き、カウンターで洗い物をしていたセイジュがリビングの方を振り返る。
 そうして直後。
 彼はすぐにこちらの状況を理解して、弾かれたように、私の元へ駆け寄って来た。
「ちょっと……大丈夫?コーヒー手に掛からなかった?」
(……これは、かなり驚かせてしまったかな?)
 自分よりも慌てた様子の恋人に、私は思わず小さく口角を持ち上げる。
 そうして私は、彼を安堵させようと、左右にゆっくり首を振った。
「少しだけ、ね。けれど大丈夫、大したことないと思うから」
「……本当に?」
 うたぐり深いエメラルドの見つめながら、今度は軽く顎を引く。
「勿論だよ。それより早くここを片付けないといけないね。まずは拭くものを取って来ないと」
 真剣な面持ちでこちらを覗き込む恋人に、私はさらに苦笑を深くしながらそう答える。
 だが……。
 セイジュは私のその言葉に、不意に露骨に細い眉を寄せた。
「何言ってるんだよ!!片付けなんて、別に後でいいじゃないか」
「……セイ、ジュ?」
「それより先に手当をしないと、大変なのはユウシの方だろ。ほら、いいからさっさとこっち来て」
 そうして言うなり、小柄で細身の青年は、腕を掴み強引に私を立たせようとする。
「え、だけど……」
 掛かったと言っても、僅かな量だ。
 痛みを感じたのも、ほんの一瞬のことだったし、むしろ床に広がる前に、この惨状を何とかした方がいいと思うんだけど。
 彼の剣幕に気圧されながら、私はまた反論を試みる。
 が、次の瞬間。
 鋭さを増した青緑色の双眸は、睨むようにこちらを真っ直ぐ見返して来た。
「駄目だよ。火傷は迅速な処置が一番大事なんだから」
「……」
「いいからユウシは、さっさとキッチンに行って、水で手を冷やしてて。片付けなら、氷や薬を用意した後、僕がやるから」
 そう言うと、セイジュはさらに力を込めて、ぐっと私の腕を引く。
「……」
 …………。
(しょうがない、かな……)
 その真っ直ぐな輝きに、私はようやく観念して、諦めに似た吐息を吐き出した。
 まだ多少、大袈裟だという思いはあるものの、こんなふうに言い出したら、セイジュはなかなか引いてくれない。
 敵の立場で出会った当時の、生意気を装う言動はさすがにもうなくなったが、この青年の生真面目さと頑固さは生来のもので、それは今も変わらない。
 ……なら、これ以上の言い合いに、きっと意味はないだろう。
 それに、さっきは心配させないよう、セイジュはあんなことを言ったけれど、まったく手に痛みがないかと言えばそれは嘘だ。
 ならここは、素直に甘えておいた方がいい。
「わかったよ」
 そこで私は、ようやく小さな苦笑とともに、ゆっくりと立ち上がった。
 そうしてそのまま、恋人の言う通りにキッチンへ行き、患部を水道の水で冷やす。
 いくら夜になったとはいえ、真昼の猛暑に晒された水道水はやはりさほど冷たくない。
 だけどセイジュは、すぐにそれに気がついて、冷凍室の氷を袋に詰めた、簡単な氷嚢を作ってくれた。
「はい、これ。直接患部にあてるのはよくないから、このタオルで包んで使って。これ、買ったばかりの清潔なやつだから」
「ありがとう」
 私が感謝の言葉を告げると、セイジュはふっと嬉しそうに目を細くする。
 が、忙しない彼はそのままここに留まることなく、すぐにまた踵を返して駆け出した。
 そうして今度は、水で濡らしたウエスを取って、コーヒーが零れたままのリビングに向かう。
(セイジュ……)
 はっきり言って、声を掛ける暇もなかった。
 恋人は、やけに嬉しそうな顔をしながら、テキパキとした動きで、私が零したコーヒーを片付けていく。
(……)
 本当は、自分がやるべきだとは思ったものの、そう告げたところで、また彼の機嫌を損ねてしまうだけだろう。
 それに恐らく、一通りの片付けや手当が終わった後には、常日頃から私の「本の虫」振りに眉を潜めている恋人のお咎めがあるに違いない。
 こんな失敗をしたのだから、勿論叱られるのは覚悟している
 でもここで、自らその傷口を広げることもないだろう。
 そんなことを考えながら、私は忙しなく動き回る恋人の姿を、ただぼんやりと見詰めていた。
「ッ……!」
 と、瞬間。
 まだピリピリと右手に鋭い痛みを覚え、私は軽く眉を寄せる。
 そろそろと氷を外して状態を確かめてみれば……さっきは多少痛む程度だった患部には、いつの間にか、幾つかの水膨れが出来ていた。
 ……。
 コーヒーが掛かった直後は、大したことないと高を括っていたけれど、こうして見れば、どうやら早く手当した方がいいというセイジュの主張が正しかったようだ。
 自業自得で負った怪我に、私は思わず溜息を漏らす。
 と、そこへ、カップとウエスを持ったセイジュが小走りに戻って来た。
「具合、どう?」
 目が合うと、彼は真っ先にそう私に尋ねて来る。
「大丈夫、大したことないよ。まあ……ちょっと水膨れは出来たけどね」
 私はそんな彼に苦笑すると、また氷を持ち上げて、今度はセイジュに手の甲を差し出した。
 と、自身の目で私の怪我の事態を確かめて、恋人は一つ小さく顎を引く。
「本当だ……よかった。この程度なら、病院に行かなくても平気みたいだね」
「病院は大袈裟だよ。さっきから、私は言ってただろう?」
 心底安堵した様子の恋人に、私もつい口許の笑みを深くする。
 するとセイジュは、改めて私を見遣り、一つ小さく肩を竦めた。
「そうだね。だけど、さすがにこのままにはして置けないよ。水膨れを割らないように、暫くは保護しておかなくちゃ」
 そこまで言うと、セイジュは自信ありげにふわりと笑った。
「それじゃユウシは、向こうに座って、暫くこのまま患部を冷やしててくれる?僕、その間に、救急箱を取って来るから。もう少し冷やしたら、ガーゼや包帯で抑えておこう。それで暫くは平気な筈だよ」
(セイジュ……?)
「………う、うん。わかったよ」
 手当について、ハキハキと意見を述べる恋人に、私は気付けば半ば呆気にとられて頷いていた。
 ……。
 何だろう。
 目の前のセイジュの姿に、違和感を覚えて仕方がない。
 勿論、一般常識レベルで考えても、セイジュの判断は適切だから、それに問題はないのだけれど。
 いや……むしろ、さっきからのセイジュの対応は、あまりにも的を得過ぎていて、私はかえってそのことに、面食らってしまっていた。
「……」
『熱はないみたいですね』
 刹那。
 ふと、まだ敵対する組織にいた頃の出来事が頭を過ぎる。
 やけに真剣な顔をして、手の平で自身と私の額の熱を測り比べていたセイジュ。
 あの時の彼の仕種は、真面目で一生懸命だけど、何処か少しぎこちなくて、医療行為に慣れている様子はまるでなかった。
 それに、長い入院生活でも、そんな話は出なかったし、特にそういう様子もなかったと思う。
 なのに、これは……。
「……」
 私は、取り留めもないことをグルグルと考えながら、言われた通り、片付いたリビングのカウチに腰を下ろした。
 そうして、救急箱の中を覗く恋人に、ただぼんやりと視線を送る。
 ……勿論、こういう時に頼れるのを、ありがたいと思わない訳じゃない。
 それに、いくら恋人でも、何から何まで互いのことを知っている訳ではないのだから、私が知らない彼の一面があったとしても、そんなに不思議はないだろう。
 それも理解はしているつもりだ。
 なのだけど……。
 数分後。
 ガーゼをあて、慣れた手つきで包帯を巻く恋人の姿に、その違和感はますます大きくなってしまい、私はつい、まじまじと彼の手元に見入ってしまった。
「ん、ユウシ、どうしたの?」
 すると、刹那。
 視線に気付いた青年が、不意にきょとんと目を見開き、私に逆に問い掛ける。
 真っ直ぐなその瞳に、何故かバツの悪さを覚え、私は堪らず小さな苦い笑みを浮かべた。
「うん……大したことじゃないんだけどね。ただ、何だか君は、怪我の手当に慣れてないかなって、ちょっと不思議に思っていたんだ」
 誤魔化しても仕方ない。
 私は思った通りのことを、真っ直ぐ彼に告げてみる。
「ああ……」
 するとセイジュは、何かを得心したみたいに、またふっとエメラルドの目を細くした。
 そうして直後、色白な恋人の頬が、僅かに赤みを増していく。
「別に、手当に慣れてる訳じゃないんだよ。……ただ、入院中に、看護師さん達から暇をみて一般的な応急処置の方法を教えて貰っていたからね。ユウシがそう思うのなら、その成果があったってことなのかも」
「え、セイジュ……?」
 瞬間、告げられた意外な答えに、今度は私が声をあげる。
 するとセイジュは、何処か照れ臭そうな顔で、ゆっくりと首を擡げた。
「ほら……どんな暮らしをするんでも、応急処置は、覚えておいて全然損はないじゃない。現に今日だって、こうしてユウシの役に立てたし」
 そうして、静かな言葉と同時に、セイジュは何処か誇らしげに私を見詰める。
 が、私はそんな彼に、咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
(セイジュ……)
 ……。
 トザでの入院生活中……つまり、自分が誰より傍にいたあの時期に、まさかセイジュが内緒でそんなことをしていたなんて。
 買い出しや妹の見舞いなどで、当然四六時中一緒ではなかったけれど、こうして事実を打ち明けられれば、やっぱりちょっとショックを覚えずにはいられない。
「セイジュ」
「ん?」
「私は今まで一言も、そんな話は聞いてないけど?」
 だから私は、つい咎めるような口ぶりで、彼にそう尋ねてしまう。
 するとセイジュは、苦笑混じりにこちらを見遣り、一つ小さく肩を竦めた。
「しょうがないじゃないか。あの頃のユウシは、度が過ぎるくらい僕に過保護だったからね。あの調子じゃ、例え退院の前日だって、『そんなことをしないで、ちゃんと寝てなきゃダメだ』って、きっと僕を止めただろ?」
「それは……」
 確かに、言われれば、自分でもそうしそうな気がしてしまう。
 と、言葉を濁した私に向かい、セイジュはまた静かに唇を解いた。
「ほら!だから秘密にしていたんだよ。ユウシの気持ちは嬉しかったけど、僕はあのまま、立ち止まっていたくなかったから」
「セイジュ」
「……あの時の僕には、応急処置の勉強くらいしか、出来ることはなかったからね。だから、絶対に止められたくなかったんだ。隠してて、ごめん……」
「……」
 最後に珍しいくらい、しおらしく謝られてしまい、私はただ呆然とエメラルドの目を見詰めてしまう。
 ………。
 脳裏には、病院のベッドに身を横たえたセイジュの姿が何度も何度も蘇る。
 まだ、体調が安定せず、笑顔や言葉に力がなかった頃の姿を。
『大丈夫ですよ、ユウシさん』
『今日は昨日よりずっと調子がいいんです。ほら、顔色だってそんなに悪くないでしょう?』
 いくらカルナが手に入り、生命の危機は脱したとはいえ、この恋人はろくに歩けもしない身体で、そんなことを考えていたのか……。
 そう思えば、どうしても複雑な想いは抑えきれない。
 が、私は同時に、そんなセイジュをとても彼らしいとも感じていた。
(セイジュ……)
 改めて、私は間近にある恋人の顔をじっと見つめる。
 考えてみれば、カイエンに戻ってからも、この青年は一瞬たりとも立ち止まってはいなかった。
 一度は完全に無くしてしまった市民との絆の回復に尽力し、率先して新しい作物の栽培を推し進め、プラントの整備を始め、必要と思われることはまず自分が学ぼうと奔走する。
 そう。
 セイジュはいつだって、限界なんて決めつけないで、真っ直ぐに先へ先へと歩いていく。
 彼は決して、失敗を恐れない。
 いや、この青年は、むしろ問題を理解しながら何も出来ずに終わることを、何よりも悪だと考えているのかもしれない。
 そんな今も昔も変わらない恋人の真っ直ぐな姿勢が、私にはとても愛おしかった。
 だから直後、私はセイジュを見つめたまま、小さく口角を持ち上げる。
「ユウシ?」
「……君は、すごいね」
 そうして私は、思うままに彼に賛辞の言葉を贈った。
「……ッ!」
 と、直後。
 不意打ちのようなその言葉に、セイジュは露骨にエメラルドの目を見開いた。
 ……どうやらかなり驚かせてしまったらしい。
「べ、別に、こんなの大したことないよ。ちょっとコツさえ掴めれば、誰だってすぐに出来るし」
 色白の頬をさっきより赤く染めながら、青年はボソボソとそんな言葉を口にする。
 明らかに動揺したその様子に、私は堪らず喉を震わせた。
「違う違う。勉強した中身のことを言ったんじゃないんだよ。少しでも何かを出来るようになろうっていう君の姿勢……私はそのことを言ったんだから」
 そうして私にセイジュに向かい、改めて囁くようにそう答える。
「ユウシ……」
 セイジュはその言葉を聞くと、面映ゆそうに私の名を呼び返した。
 刹那。
 真正面から、またお互いの視線が交錯する。
 私はキラキラと輝く緑色の瞳を見返しながら、またおもむろに唇を解いた。
「ねえ、セイジュ」
「何?」
「この手が治ったら、今度は君が私に応急処置を教えてくれない。もし何かあった時、今度は私が君を助けられるように」
 そうして私は、まだ何処かバツの悪そうな恋人に、そんな提案を持ち掛ける。
 するとセイジュは、急にぱっと表情を輝かせ、何度も大きく頷いた。
「うん、もちろん!任せておいてよ」
 私に頼られたことが相当嬉しかったのか。
 年下の青年は満面の笑みを浮かべたまま、誇らしげに胸を張る。
(セイジュ……本当に、君は……)
 その笑顔が、どうしようもなく眩しくて、私は思わず包帯のない左腕で、彼の頭を自分の方へと引き寄せた。





<後書き>
セイ誕祭2011、ユウセイ編です。当初、まったく違うネタを考えていたんですが、それが前にやった内容なのを思い出して、急きょ話を変更しました。ユウシの手当てをするセイジュ、個人的に結構萌えます。(お前だけだ…)他のCPとは違って、頼れる恋人になりたがるセイジュの姿を書いてみました。こんなので良かったでしょうか?
posted by 二月 at 12:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | BD企画2011【無期限】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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お題「期待を裏切らない反応」 コウ×セイジュ

 砂埃を巻き上げながら軽トラックが停車すると、助手席のセイジュは、勢いよくそのまま外へと飛び出した。
「それじゃコウさん、僕は先に脚立を運んで、故障箇所を調べてますね」
 開け放ったドアを閉めつつ掛けられたその声に、俺は小さく顎を引く。
「ああ。だが、あまり無理にあちこち触ろうとすんなよ。場所が場所だ。下手に触ると危ねえぞ」
 そうして俺は、今すぐにでも駆け出しそうな恋人に向かい、そう注意を促した。
「わかっていますよ。ちゃんとコウさんが来るまで待ってますって」
 と、それを聞いて青緑色の双眸が、悪戯めいた色に揺れる。
「その代わり、早く来てくださいね。じゃないと僕、一人で直しちゃうかもしれませんから」
 そしてさらに付け加えられた、小生意気を装った一言。
「ああ、わかってる」
 それを聞いて今度こそ、俺は口角を持ち上げた。
 と、刹那。
 俺はシートに残されたままの、青いキャップの存在に気付く。
(っと、危ねえ危ねえ)
「セイジュ」
 俺はもう一度、恋人に向かい呼び掛けると、無造作に置かれたそれに手を伸ばした。
「ん?」
「忘れもんだぜ」
 そうして、振り向いた奴の胸元目掛けて、そいつを軽く放ってやる。
「あ……?」
 セイジュの奴は、飛んで来たキャップを反射的にキャッチすると、少しの間、手元と俺の顔を交互に見遣り目を白黒させていた。
 が、やがて。
 奴は微笑み、手にしたキャップを見せ付けるみたいに目深に被って俺を見る。
『どうですか、これなら文句ないでしょう?僕はちゃんと、貴方に言われたことは守ってますよ』
 そうして、そう告げる代わりに、セイジュは少し口角を持ち上げる。
(ったく……)
 俺はそんな恋人の反応に、応えて一つ頷いた。
 俺の答えを見届けると、気の早い恋人は踵を返してパタパタと走り出す。
 俺は運転席から、遠ざかる奴の背中を、何処か微笑ましい気持ちのまま見送った。
(さて、俺もとっとと行かねえとな)
 小柄な背中が管理小屋の裏手の方に消えていくと、俺は内心そう呟いてぐっと一つ背伸びをする。
 とりあえず、とっとと買い出しの荷物を小屋に放り込んで、まずはDブロックのプラントの修理だ。
 本当は、水プラントの定期点検をしときたかったが、故障が起きちゃ、そんなことは言ってられねえからな。
 買い出しの続きは……こうなったら、夕方の出荷当番に任せりゃいいか。
 そんなことを考えながら、俺は自分も車を降りて、カラカラに乾いた土を踏み締める。
 外に出ると、相変わらず強烈過ぎるカイエンの太陽が容赦なく照りつけて来る。
「ッ…!」
 いつまで経っても決して慣れねえ眩しさに、刹那、俺は思わず眉を寄せていた。
 と、その時だ。
「ん?」
 背後から自分に近付く足音に気付き、俺はドアを閉めると同時に首を擡げる。
 改めて目を向けりゃ……俺達が戻ったのに気が付いて、わざわざ来てくれたんだろう。
 そこにはこのプラントの今の責任者、オミとケイタツが立っていた。
 目が合うと、二人は何処か安堵したように、小さく口角を持ち上げる。
「お帰り、コウ」
「早かったんだな。てっきりあと1、2時間は掛かるもんだと思ってたんだぜ」
 そうして二人は、口々に俺にそんな言葉を投げ掛ける。
 それを聞いて、俺もまたニッと口許に笑みを浮かべた。
「馬鹿野郎、買い出し途中でわざわざ切り上げて来たんだよ」
「え、そうなのか?」
 俺の答えに、大柄なケイタツが、意外そうな声を漏らす。
 それと見て、俺はさらに口の端を持ち上げた。
「ああ……決まってんだろ。あのプラントのキャベツは、来週には収穫なんだ。こんなとこで、枯らす訳にはいかねえだろうが」
 そうして俺は奴に向かって、はっきりとそう告げる。
「そ、そうか……悪ぃな」
 と、無骨な男は、俺の答えに照れ臭そうに感謝の言葉を口にする。
 ……まあ、Dブロックの担当であるケイタツとしちゃ、こんな反応にもなるだろう。
「何、構わねえよ。元々こいつは俺の仕事だ」
 仲間が見せたその態度が、ちょっとばかりくすぐったくて、俺は噴き出したいのを堪えながら、軽い口調でそう答えた。
「ところで、なあコウ」
 と、直後。
 そんなやり取りを見ていたオミが、おもむろに声を掛けて来る。
「ん?」
「荷物は荷台にあるだけか?何なら、こっちは俺達で運んでおくけど」
 そうして気配り上手な長身の男は、俺にそんな提案を持ちかけた。
「マジか?そりゃ勿論助かるけど……でも、いいのかよ。お前らだって、まだ仕事があるんだろう」
 願ってもない申し出に、俺は無論、即座に飛び付く。
 するとオミは、俺の勢いにさらにふっと眦を下げて、はっきり一つ頷いた。
「ああ、勿論。コウはプラントの修理を急いだ方がいいだろうしね」
 その横で、ケイタツも即座に奴に同意する。
「そうそう。あっちは俺達の手に負えねえからさ、頼むよ」
 と、そこまで言うと、大柄な男は俺を見遣り、にやりと口角を持ち上げた。
「……?」
「それに、セイジュの奴、今すっ飛んで行っただろ?ああいうあいつを一人にしとくと、何すっかわかんねえぜ」
「?!」
「そうそう、だからコウには、早く行って、セイジュをしっかり抑えておいて貰わないとな」
 茶化したようなケイタツの物言いに、オミの奴まで、傍らから平然とそんな言葉を付け加える。
 ……。
(こいつら……)
 そんな二人の悪友に、俺は堪らず苦虫を噛み潰した。
(……ったく、仕方ねえな)
 が、やがて。
 俺は小さな苦笑とともに、一つ軽く肩を竦める。
 そう。
 オミ達のこんな軽口は、俺へのからかいとセイジュに対する親愛の表れだ。
 それは勿論、俺もよくわかってる。
 だから俺は、苦笑混じりに奴らの顔を一瞥した後、余計な反論は一切せずに、はっきりと頷いた。
「……わかったよ。じゃあ、ここは頼むぜ。食材だけ冷蔵庫に突っ込んで、後は適当にテーブルに乗せといてくれればいいからよ」
「ああ」
「任せとけよ」
 俺の言葉に、今度は二人が即座に小さく顎を引く。
 が、直後。
 ほぼ同時に互いの顔を見合わせたオミとケイタツは、どういう訳か二人同時に吹き出した。
「ッ……何だぁ?」
 今の会話に、特に笑うようなことなんざなかっただろうが。
 訝しく思い、俺は思わず問い返す。
 すると先に笑いを収めたオミは、何でもないと言いたげに、一つ小さく肩を竦めた。
「いや、悪い。たださ……さっきのを見て、本当にコウは、セイジュの操縦法を心得てるなって二人で話していただけなんだ」
「操縦法?」
「ああ」
 問い返す俺に、ケイタツが横で顎を引く。
「あいつさ、お前の言うことは、何でも素直に聞くだろう。帽子だって、熱中症で倒れる度に、前から俺ら、何度も何度も言ってたんだぜ。セイジュに奴、そん時には全然聞く耳持たなかった癖してよ。それが今じゃ、あれだもんなあ」
 そう言って、ケイタツはまた低く喉を震わせる。
「ああ、そうだな」
 相棒の言葉に、何か懐かしいことでも思い出したってことなんだろうか。
 直後、オミも目を細くして、感慨深げに頷いた。
「俺達は、昔から、あいつとは仲が良かったつもりだけど、セイジュは俺達の言うことは、あまり聞いてくれなかったからな。……前のセイジュは、とにかくケンショウの言うことだけが絶対だったから」
「オミ…」
 ウライの名を複雑そうに口にした長身の男に向かい、俺は思わず呼び掛ける。
 するとオミは、口許に曖昧な笑みを浮かべたまま、曖昧に首を擡げてみせた。
「勿論、今のコウとの関係が、あの時の盲信振りとは全く別物だっていうのはわかっているんだ。いや、だからむしろ、俺は実は安心してる。セイジュが、いい方向に変わってくれてよかったってな」
 そうしてオミは、やけに真っ直ぐな口調で、そんな言葉を付け加える。
 それを聞いて、俺は自分の頬が急激に熱を持っていくのを自覚した。
 ……。
 そんなつもりはなかったんだが、どうやら話がいつの間にか、妙な方に進んじまっていたらしい。
 普段、仕事以外じゃふざけた話しかしねえ連中から、面と向かってこんなことを言われれば、さすがにかなり照れ臭い。
(こりゃ、ここら辺が潮時だな)
 これを機に、こいつらからセイジュの昔の様子でも聞いてみようと一瞬考えていたんだが。
 このままじゃ逆に俺まで、妙なことを口走らされちまいそうだ。
 まあ、これ以上立ち話を続ける訳にもいかねえし、それはまた後でいいだろう。
 そう判断して、俺はおもむろに踵を返す。
「……なら、いいけどな。じゃあ、俺。そろそろ行くわ」
 そうして俺は、連中との会話を半ば強引に切り上げる。
「ああ」
「プラントの方、頼んだぜ」
「おう、任せとけ」
 さっきとは逆に、トラックの脇に立つ二人の視線に見送られながら、俺はそのままDブロックへと歩き出した。

 オミ達と別れた俺は、乾いたプラント内の通路を、そのまま真っ直ぐ歩いて行った。
(操縦法、か……。そんなつもりはまったくなかったんだがな)
 足を前へ進めながら、俺はふと、内心そんな呟きを漏らす。
『たださ……さっきのを見て、本当にコウは、セイジュの操縦法を心得てるなって二人で話していただけなんだ』
『あいつさ、お前の言うことは、何でも素直に聞くだろう』
 頭の中には、さっき聞いたばかりの言葉と、二人の苦笑が何度もしつこく浮かんで来る。
 ……。
(まあ、そりゃお前らは、あいつに手を焼いて来たんだろうけど、な)
 脳裏に浮かぶ二人の悪友に向かい、俺は思わずそんな言葉を告げていた。
 確かに、あの年下の恋人は、負けず嫌いで意地っ張りだし、生真面目な分、融通がきかねえところもある。
 特にプロメテウスがあった頃は、あいつ自身もAMATDS発症でかなり切羽詰まっていたせいか、その傾向は今よりずっと酷かった。
 俺自身、出会った頃のヤツの頑なさには、正直かなり手を焼いたし、ここの連中が暴走気味のあいつを持て余してたってのも、想像に難くねえ。
 だが……そんなのはもう昔のことだ。
 少なくとも、今のあいつは全く違う。
 恋人の欲目と言われりゃそうかもしれないが……俺は今むしろ、セイジュくらい素直でわかりやすいヤツは、他にいねえと思ってる。
 だって、そうだろう?
 あいつは基本的に、物事を真正面からしか見ちゃいない。
 なら、こっちの意志をわからせるのだって簡単だ。
 余計な小細工は必要ねえ。
 真ん前からヤツと向き合って、ヤツの目を真っ直ぐ見詰めてやればいいんだからな。
 そう。
 頭ごなしに上から抑えつけるんじゃなく、想いや理由をちゃんとわかるようにぶつけてやれば、セイジュは絶対それを踏みにじるような真似はしない。
 今まで恋人として歩んで来た歳月から、俺はそう断言できる。
 だから俺は、別に自分がセイジュの上手い扱い方を心得てるなんて思わない。
 ただ、誰より真っ直ぐなあの恋人と、俺自身、どんな時と真正面から向き合いたいと思っている。
 要はそれだけのことなんだ。
 そんなことを考えながら、俺は問題のプラントの戸を開けて中に入る。
「ッ……!」
 刹那。
 土と緑で埋め尽くされた視界の中に、その姿は一際鮮やかに飛び込んで来る。
 ……。
 日の光を受け、金に輝く薄茶の髪と、やけに真剣な面持ちで手元を見つめる緑の瞳。
(ったく、こいつは……)
 脚立の上で、こっちの視線に気付きもせずに、目の前の課題に取り組む愛しい恋人。
 そのひたむきな横顔に、直後、俺は小さく口角を持ち上げた。
 そうして俺は、おもむろに速度を上げて、残りの距離を詰めていく。
「セイジュ、どうだ?」
「あ……!」
 どうやら本当に、俺が来たことに気付いちゃいなかったらしい。
 脚立の下から呼び掛けると、俺を見下ろし、セイジュはきょとんと目を見開いた。
「コウさん……随分早かったんですね。もうちょっと時間が掛かると思ってたんですけど」
「ああ」
 当然の疑問を口にした恋人に、俺は応えて顎を引く。
「オミとケイタツが、荷物を引き受けてくれたんだよ」
「オミさん達が」
「そうそう。荷物なんかより、プラントを何とかしろってな」
 おどけた調子でそう付け加えると、セイジュはようやく納得したのか、ふわりと小さく微笑んだ。
(ま、あの連中は、お前のことも心配だったみたいだけどな)
 勿論、本人に言える筈のねえその一言は、胸の内に留めておく。
「それより、状況教えてくれ」
 代わりにまたそう促すと、セイジュは「わかりました」と短く答え、すっと表情を引き締めた。
「ここを見る前、念のために配線や計器類、配電盤もチェックしてみましたけど、特に問題はないようでした。やっぱり、ここのセンサーが原因だと思います」
「そうか」
 簡潔な説明に、俺は小さく顎を引く。
 このプラントは、気温や空気中の水分量を測定し、ある程度自動で作物の育成環境を整えられるように出来ている。
 が、ここ数日はその調整がどういう訳か上手くいかず……そして今日、そのシステムは完全にいかれちまった。
 そこで、外で知らせを受けた俺とセイジュは、買い出しを切り上げて、バザールからトンボ返りして来たっていう訳だ。
 さっきケイタツ達にも言ったが、ここのキャベツは収穫直前だ。
 俺達の整備の遅れで全てを水の泡になんざさせてたまるか。
「だいぶ気温が上がって来たし、急がねえとな。何か原因の目星はついたか?」
 外気とほとんど変わらなくなっちまったプラントの気温に滴る汗を拭いながら、俺はセイジュに重ねて尋ねる。
 するとセイジュはさらに姿勢を低くして、プラントのサッシに備えつけられた、センサーの中を覗き込んだ。
「えっと……かなり砂が入り込んでしまっていますね。あとは……、あ!奥の回路に焼け焦げみたいなのがありました。線の一部がショートしているみたいです。多分これかな?」
(よし……!)
 どうやら、大規模な故障の割に、原因は単純なもんだったらしい。
 その報告に、俺は思わずほっと胸を撫で下ろす。
 が、まだ修理が終わった訳じゃねえ。
 むしろ俺達の仕事はここからだ。
 俺は改めて恋人の方を振り仰ぐと、一つ小さく顎を引いた。
「了解。他にも原因はあるかもしれないが、とりあえず今はそっから取り掛かろうぜ」
 そう言うと、俺は自分の工具袋から、ドライバーとニッパーを脚立の上のセイジュに差し出す。
「え……?」
 と、直後。
 青緑色の双眸が、また一際大きく見開かれる。
 俺はそんな無防備な恋人の顔を見詰めながら、一つ小さく頷いた。
「やってくれよ。ちょっと場所は厄介だが、ショートした導線を繋ぐくらい、お前でももう出来るだろ」
 エメラルドの目を真っ直ぐに見詰めながら、俺はさらに重ねて促す。
「コウさん……」
 セイジュは急な問い掛けに、何処か戸惑いがちに俺の名を呟いた。
 が、そいつもほんの一瞬だ。
 年下の恋人はすぐに満面の笑みを浮かべると、大きく首を縦に振る。
「はい、任せてください!!」
 そうしてセイジュは、酷く大事そうに俺の手から2つの工具を受け取った。
(ほら、この期待を裏切らない反応、だ……)
 そんな奴の様子を見遣り、俺は堪らず口角を持ち上げる。
 信頼して仕事を任せてもらえたことへの喜びを隠そうともしねえ恋人の顔を前にすれば、どうしても頬が緩むのを俺は抑えることが出来ない。
「……何、ですか?」
 と、どうやら気付かれちまったらしい。
 不意にこちらを振り向いた青緑色の双眸は、俺を映し、不思議そうな色に揺れる。
 俺はその真っ直ぐな輝きを見返しながら、小さく左右に首を振った。
「何でもねえよ。……ただ、お前はやっぱり可愛いなって、そう思っていただけだぜ」
「ッ……ちょ、な……何言ってるんですか?!」
 刹那。
 真っ赤に頬を染めて、セイジュが俺に抗議する。
(っと、危ねえ!)
 上で派手に動いたおかげで、セイジュガ乗った脚立が不意に大きく揺れる。
 俺は咄嗟に手を伸ばすと、金属製の足部分を力を込めてぐっと支えた。
「おいおい、んなに動くと落っこちるぞ」
 ほっと胸を撫で下ろした後、俺はまた上を見上げてそう告げる。
「……誰のせいだと思ってるんですか?」
 と、諭すように告げた言葉に、まだ顔を赤らめたままセイジュはそう言い返した。
(セイジュ……)
 どうやら結構本気で膨れさせちまったらしい。
 恋人の横顔を見遣りながら、俺はそのことを自覚する。
 ……まあ、ここまでにした方がいいだろう。
 これ以上軽口を叩いていたら、今度こそセイジュは暫く口も利いてくれなくなりそうだ。
 そう判断して、俺は直後、一つ小さく肩を竦めた。
「ああ、悪かったよ。もう余計なことは言わねえから、早く作業を進めようぜ」
 そこまで言うと、俺は奴に見せ付けるように、ぐっと脚立に自重を掛ける。
「コウさん?」
 そうして、不思議そうな色に揺れる恋人の目を見詰めながら、俺は一つ目配せした。
「ほら、俺がここから、こうして支えててやるからさ。それに、万一お前が落ちたって、俺が必ず受け止めてやる。だからお前は安心して作業を続けろよ」
 真正面から奴の瞳を見返して、俺は恋人にそう告げる。
 が、直後。
「……そんなヘマなんか絶対しません!」
 頭の上から降って来たのは、つっけんどんなそんな答えだ。
「セイジュ」
 その剣幕に、俺は堪らず宥めるように名前を呼ぶ。
「……」
 セイジュは暫く、頬を真っ赤に染めたまま、目の前にあるプラントのサッシを見詰めていた。
 だが、どれくらい経った頃だろう。
「だけど……」
「ん?」
「だけど……コウさんいてくれるなら、安心な気はします」
 こっちの方を見ようともしないまま、恋人はぶっきらぼうにそんな言葉を口にする。
「……」
(ったく、お前は……)
 どうしてこいつは、こんな複雑そうな顔をしながら、無自覚にどうしようもなく可愛いことを言うんだろう。
 そう思えば、また自然に俺の口角は持ち上がる。
 が、今笑っちまったら、セイジュの奴はさらに臍を曲げるだろう。
(仕方ねえな……)
 俺はますます赤く染まっていく恋人の顔に、笑いたいのを堪えながら、湧き上がる幸福感を胸の奥で噛み締めていた。





<後書き>
セイ誕祭2011、コウセイ編です。明らかに、何処かに書いたようなネタですが、すみません。そしてセイジュよりオミとケイタツが喋りまくってて、またまたすみません。まあ、後半はこの馬鹿ップルっぽい感じになったので良かったかと。というより、コウ君の好きにさせると、こんなふうにしかなりません。
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お題「無意識の性質の悪さ」 ケンショウ×セイジュ

 セツエイ・クジョウへ報告書を送信し終えると、俺は深く息を吐き出し、長時間のデスクワークで疲労が溜まった眉間を軽く揉み解した。
「……」
 傍らの時計に目を向ければ、時刻は午前1時を回ったところだ。
(結局、間に合わなかったか……)
 何とか昨日のうちに、この仕事を終えられるよう、夕食後、ろくに話もしないまま、すぐにデスクに向かったのだが……。
 結果として、それは徒労に終わったようだ。
「……」
 その事実を前にして、俺は思わず苦い思いに、奥歯をきつく噛み締める。
(ほんの数日前までは、こんな事態になる事など、思いも寄らなかったのだがな)
 内心そう呟けば、誰にともなく、恨み言を呟きたくなる。
 ……そうだ。
 そもそも、今回のシェーナ視察は、本当に想定外の出来事が多過ぎた。
 本来行く予定だった調査員が急病で倒れ、代理として俺に白羽の矢が立ったのが、出立の2日前。
 決定後は、自分が抱える仕事の処理と事務手続きで、瞬く間に時が過ぎ、ようやく全てが一段落してほっと胸を撫で下ろしたのは、空港へ向かう公用車の中だった。
 この視察の目的自体は、来週から開催される国際会議で公表予定のAMATDISについての調査報告の裏づけだ。
 俺もこの件には、率先して携わるようにしていたため、データは既に頭に叩き込まれていたし、視察内容も幾つかの閉鎖された水プラントを回るだけの単純なものだから、行くことに特に異論があった訳ではない。
 事実、急な調査員の変更で、対応したシェーナ側は右往左往していたようだが、俺の仕事は滞りなく完了した。
 あくまでも、調査という仕事自体は、だったのだが。
 そう。
 今回の渡航で順調だったのは、現地に入り、視察を行っている期間だけだったと言っても、過言ではないだろう。
 その後、進路を変えて接近した熱帯低気圧に交通網を寸断され、丸二日もシェーナに足止めされるなど、どう考えても予測出来た筈などない。
 視察自体が完了したのは今から3日前の8月22日。
 それがなければ、俺は今日……少しばかり特別な意味を持つ8月25日というこの日を、全ての仕事から解放されて迎えられた筈だったのだ。
 ……。
 もう一度、深々と嘆息し、俺はおもむろに視線と窓から室内へ移す。
 そして、直後。視界に入ったかけがえのない人の姿に、俺は思わず小さく吐息を飲み込んだ。
「ッ……!!」
(……そういえば、特に気に留めなかったが、暫く前から物音らしい物音もしていなかったな)
 恋人を見詰めながら、改めて俺はそんなことを考える。
 広くはない部屋の壁際に設えられた簡素なベッド。
 青緑色の瞳が印象的な青年は、その上で、今すやすやと安らかな寝息を立てていた。
 ……恐らく、本人は眠るつもりはなかったのだろう。
 彼がいるのは、温かな毛布の中ではなく、掛けられたベッドカバーのさらに上だ。
 ナイトスタンドのオレンジの光に照らされた頬の横には、電源が入ったままの端末が置かれたまま。
 部屋着のスウェットに包まれた四肢を無造作に投げ出して、彼…セイジュは気持ち良さそうに眠っている。
「……」
 かたく閉ざされた両の瞼に、それを覆う麦穂色の柔らかな髪。
 無防備に薄く開いたままの唇。
 普段は人一倍自分を大人びて見せようとする青年が、今は随分無防備に眠っているものだ。
 その表情のあどけなさに、俺は直後、堪らず口角を持ち上げた。
(まったく……。だから先に休んでいろと言ったものを)
 内心そう呟きながら、俺は立ち上がり、恋人の方へ歩み寄る。
 枕元に立ってみても、案の定、既に深い眠りに堕ちた恋人が目を覚ます気配はなかった。
 まあ、それも当然というものだろう。
 日中デスクワークだった俺とは違い、この青年は今日も朝早くから郊外のプラントで、農作業をして来たのだ。
 いくら病が完治して、幾らか体力が戻ったとはいえ、元々そう丈夫ではないセイジュが疲れていない筈がない。
 それなのに……。
『仕方がないですよ。天候のせいでフライトが遅れたのは、誰のせいでもありませんし』
『だが』
『……それより、ケンショウさん。あの……、今夜は仕事が終わるまで、僕、この部屋で待っていちゃ駄目ですか?』
『何?』
『絶対に邪魔したりしません。ただ、今日は珍しく、ケンショウさんがずっとこの部屋にいてくれるから、少しでも傍にいたいだけなんです』
 それなのに、年下のこの恋人は、俺を気遣い、疲れなど少しも見せずに、そんなことを強請って来る。
『セイジュ……』
 元々、この夜は、彼の為に費やすべき時間だったのだ。
 そう言われれば、無論断る理由などない。
『わかった。なるべく早く片付ける。少しの間、待っていてくれ』
 だから俺は、期待を込めて自分を見上げる恋人に向かい、答えて一つ頷いた。
『はい。でも、僕なら平気ですよ。これでも前よりは夜更かしも苦手じゃなくなったんですから』
 俺が了承の意を伝えると、セイジュは悪戯っぽくエメラルドの目を細くして、そんな答えを口にする。
 それを見て、俺は胸の内側が熱くなるのを自覚した。
 ……ともかく、今自分が最も優先すべきは、一刻も早く目の前の仕事を片付けること他ならない。
 俺は名残惜しさを覚える自らを奮い立たせつつ、セイジュを残し、報告書の続きに取り掛かった。
 セイジュは先の宣言通り、俺がデスクに向かってから1時間程は、自分の端末で調べものや読書をして過ごしていたようだ。
 ベッドの上で身じろぎする微かな気配や衣すれの音は、時折キーボードを叩く俺の耳にも微かに届いていた筈だ。
 だが……やはり、限界だったのだろう。
(いくら今日が休みとはいえ、強引にでも先に寝かせるべきだったのかもしれんな)
 どのくらい、この状態に気付かずにいたのだろう。
 それを思うと、胸の奥から後悔に似たものが押し寄せる。
 無論、こうして先に眠った恋人を咎める気など毛頭ない。
 責めるべきは、無茶をしがちなセイジュの様子に気付けなかった己自身だ。
 だからむしろ、不満の一つも口にせず、俺を待っていてくれたセイジュの想いに、俺は感謝したい思いだった。
「セイジュ……」
 愛しさを込めて呼び掛けると、俺は柔らかい薄茶の髪にそっと指を差し入れる。
 そうして俺は、恋人の白い頬を見詰めながら、この状況をどうするべきか、改めて思案した。
 ……。
 こんなふうに、気持ち良さそうに眠っている恋人を、起こすのが忍びないという思いは無論ある。
 しかし、真夏とはいえ、ワダツは朝方の冷え込みが厳しい。
 このままにしておけば、大切なこの青年に風邪を引かせてしまうだろう。
 が、生憎このベッドの上掛けは、全てセイジュの身体の下だ。
(ならば、起きてもらうしかないが……)
「……」
 恋人の安らかな寝顔を見詰めながら、俺は暫し考えを巡らせる。
 勿論、眠ったままのセイジュを抱え、彼自身の部屋に運ぶという選択肢は存在する。
 しかし俺は、最初からそれを選ぶつもりはなかった。
 セイジュ自身が、こうまでして、俺とともに在りたいと望んでくれたのだ。
 ここで俺が勝手に彼を部屋へ返してしまっては、さぞ明朝セイジュを落ち込ませてしまうに違いない。
 せっかくの記念日に恋人の顔を曇らせるのは、俺も御免だ。
 それに幸い、セイジュは寝付きも寝起きもいい方だ。
 一時起こしてベッドの中に入らせたとして、眠れずに苦労することもないだろう。
「……」
 そこまであれこれ考えた末に、俺はようやく決断し、上体を前へ乗り出した。
「セイジュ……」
 そうして、恋人の小振りな耳に唇を寄せ、囁くように呼び掛ける。
「セイジュ」
「ん…」
 二度目の呼び掛けで、曖昧な反応が返される。
 目覚めを促すように、髪から頬に指の先を滑らせると、直後、恋人は気だるげに両の瞼を持ち上げた。
 何処かぼんやりとしたエメラルドの双眸が、瞬きを繰り返しながら、俺の姿を映し出す。
「……あ、ケンショウ……さん………お仕事、終わったんですか?」
 そうしてセイジュは、まだ半ば夢の中にいる様子で、そんなことを尋ねて来た。
 それを聞いて、俺は頷き、少し口角を持ち上げる。
「ああ。待たせて悪かったな。俺ももう休むから、お前もちゃんとベッドに入った方がいい。そのままでは、風邪を引く」
 俺はさらにそう付け加えると、労わるように、恋人の柔らかな髪を梳いていった。
 と、セイジュは俺の仕草に、くすぐったそうにふわりと小さな笑みを湛える。
「大丈夫ですよ。この服温かいんで、全然寒くありませんから」
 そうして彼は、起き上がる素振りも見せず、そんな言葉を口にする。
 睡魔が勝り、身を起こすのさえ億劫だということなのだろうか。
「……しかし」
 だが、そう言われても、病み上がりの恋人にむざむざ体調を崩させるような真似は出来ない。
 そう思い、俺はなおも食い下がろうと試みる。
 すると、刹那。
 青緑色の大きな瞳は、俺を真っ直ぐ見上げたまま、ふっとその弧を深くする。
 ――……?!――
 そうして直後、持ち上げられた華奢な手が、俺の首にゆるやかに回された。
「ッ……」
「それなら、ケンショウさんがずっと抱き締めていてくれませんか?それなら絶対に寒くないでしょう」
「セイジュ……?!」
 意地っ張りで負けん気の強い彼にしては、やけに無邪気に甘えたように誘う声。
 その提案に、俺はただ、恋人の名を呼ぶことしか出来なかった。
 ……。
 ………。
 人一倍自分に厳しくあろうとするこの青年は、普段ここまで俺に甘えるようなことはしない。
 まだ、セイジュが夢現の状態なのは充分理解しているのだが。
 それでも常とは違う、こんな無防備な姿を見せられれば、俺はこの無意識の性質の悪さに、困惑を覚えずにはいられない。
(……)
 一体どれくらい、俺は動けずにいたのだろう。
 俺は暫し為す術もなく、目の前にあるエメラルドの双眸を、ただじっと見詰めていた。
 が、やがて。
(そうだな……こんな日だ。俺はどんな些細なことであろうとも、セイジュの願いを叶えてやるべきなのだろう)
 そう思い直し、俺はセイジュを見据えたまま、はっきり一つ顎を引いた。
「ああ、わかった」
 端的にそれだけ告げると、俺は自らもベッドに上がり、細く小さな恋人の横に、自身の身を横たえる。
 そうして俺は、僅かな隙間もない程強く、セイジュの身体を正面から抱き締めた。
「ふふ、やっぱり……ケンショウさんは温かいです」
 腕の中で恋人は、嬉しそうにそんな言葉を口にする。
「そうか。ならこうして、朝までずっと抱いている。だからお前は、安心してゆっくり休め」
 その言葉が何だかやけに面映く、俺は静かに答えるとともに、セイジュの耳に触れるだけのキスを落とした。
 ……。
 本当は、真っ先に伝えるべき言葉があったのだが。
 それは明朝、セイジュがちゃんと目を覚ました時でいいだろうと思い、敢えて口には出さずに置く。
 ……そうだ。
 この俺の存在が、今確かに恋人を包み、暖めている。
 今はその事実だけで充分だろう。
 そんなことを考えながら、俺はそのまま目を閉じる。
 布を通して微かに伝わる体温と鼓動と息遣い。
 自分が抱く存在の尊さと、彼が与えてくれるかけがえのない幸福を、俺はやがて深い眠りが訪れるまで、ただ静かに噛み締めていた。





<後書き>
セイ誕祭2011その1、ケンセイ編です。珍しいくらい、セイジュがケンショウに甘えた感じの内容ですみません。でも性質が悪いと言われるなら、このくらいはしないと……と思ったので。
posted by 二月 at 12:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | BD企画2011【無期限】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2011年02月21日

とりあえず告知でも

大変ご無沙汰しております。
既にここの更新が、年中行事になりつつある今日この頃な二月です。
まあ、大半の皆様とは、Mixiやツイッターやオフで交流がある訳で、ここを放置して、いったい何をやってるの?なんて思われる方はそうそういないと思いますが。

とりあえず、このまま閉鎖とか、LEジャンルから足を洗うとかは考えておりませんので、ご安心を。

という訳で、まだ半年先ですが、今年のセイ誕祭に向けて、更新の意志表明でもしてみたいと思います。

☆セイ誕祭2011☆
8月25日に例年通りUP予定。
お題:「starrytales」様 http://starrytales.web.fc2.com/ から拝借した言葉のお題【無期限】を使用します。

1.無意識の性質の悪さ ケンセイ
2.期待を裏切らない反応 コウセイ
3.限界なんて決めつけないで ユウセイ


多分全部、相手視点になるかと思います。
それまでの更新は、正直ちょっと難しいかと。
この日に復帰することはお約束します。
その時にでも、よければ覗きに来てやってください。

それでは!
posted by 二月 at 11:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 創作日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年08月25日

セイジュ誕生日おめでとう!!

Happy birthday dear セイジュ!!

という訳で無事にシャバに帰って来ました。(笑)
5ヶ月も更新がなく、申し訳ありません。
やめる訳ではありませんよ、念のため。
そう思われても仕方ないことを、現在している気もしますが。
その分、「この日にLE復帰を果たせなければ、もう自分は戻って来れないんじゃ……」そのくらいの決意を持って(大袈裟)挑んだセイ誕祭、皆様に無事に作品をお届け出来て、二月自身、かなりホッとしております。

いつものように、今回のお題は「starrytales」様より頂きました。
http://starrytales.web.fc2.com/

内容はこんな感じでございます。

【平行線】
1.平穏であるという幸せ ケンセイ
http://seisui.seesaa.net/article/160511288.html

2.行き先は歩きながら コウセイ
http://seisui.seesaa.net/article/160511334.html

3.線路からそれてみたら ユウセイ
http://seisui.seesaa.net/article/160511367.html


今日は色々仕事関係の用事が夜まであるのですが、ケーキでも買って帰って、お祝いしようと思います。
それでは!
posted by 二月 at 09:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 創作日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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お題「線路からそれてみたら」 ユウシ×セイジュ

 マーケットには、色鮮やかな野菜や果物が所狭しと並んでいた。
 大統領の官邸があり、国家の中枢機関が集まるトザは、砂と土に覆われたこの国の中でも、以前から物資の面では恵まれている。
 けれど、政権がムナカタからイツキ・ヤエタナ大統領へと移行して数ヶ月。
 街や市場は前にも増して、活気が溢れているようだった。
 個人的には人の賑わいはあまり得意ではないけれど、それでも明るい故郷の様子を見れば、やはり少し心が躍る。
 勿論、今のこの国も、全てが順風満帆と言える訳ではないだろう。
 このトザの空の下でも、事故や病気で命を落とす人は後を絶たないし、独裁者の後を受けた現大統領は、腐敗しきった旧体制を払拭するため、かなり強引な策を講じているという噂もある。
 シェーナとの国交問題が改善されたとはいえ、外交面でも問題は山積みだ。
 けれど私は、あの停戦記念パレードの日を境に、自分を取り巻く全てのものが徐々に良い方向へ向かい始めたということを、信じずにはいられない。
「……」
 思えばこの数ヶ月で、状況は劇的に変わったものだ。
 やむを得ない理由で在籍していた、自分にはおよそ不向きな軍から身を引いたこと。
 長い間、私達家族に暗い影を落としていた妹の病が、快方へ向かっていること。
 一つ一つそうした事実を数え上げ、私はそれを改めて実感する。
 そして……。
 その変化の真ん中に、鮮やかなエメラルドの瞳をしたあの青年の存在があることは、疑いようもない事実だった。
(セイジュ……)
 心の中で大切な人の名前をそっと囁く。
 と、刹那。
 あの辺境の町で目にした彼の姿が、ありありと瞼に蘇った。
『だから……、僕は貴方を認めない!』
『貴方の趣味ってわかりませんね。僕と違うことは確かですけど』
 ただでさえ、敵対するエデマという組織の人間でおまけにケンショウと昔馴染み。
 そんな私に、当初、セイジュの風当たりはかなり強かった。
 店の外から様子を覗う視線に気付いて声を掛けたら、厳しい目で睨まれた、というのが初対面。
 そしてその数日後、改めて古書店を訪れたこの青年は、私にお薦めを尋ねながら、片っ端からこちらが提案した本に文句ばかりを並べていった。
 その時は、あまりの態度にかなり困惑したものだけど。
 ……だけど、何かと喧嘩腰だった彼の態度が、今はむしろ懐かしくもある。
(あの頃は、こんなふうにセイジュと穏やかな未来を紡ぐことになるなんて、想像さえ出来なかったけれど)
 そんなふうに考えれば、思わず自然と口の端が持ち上がる。
 そう。
 あの恋人には、とても言えないことだけど……。
 エデマとして自分があの町を訪れたのは、彼に出会うためだったんだと、私は今そう考えている。
 と、その時だ。
「ユウシさん」
 不意に左側から自分を呼ぶ声がする。
 勿論それは、今の今まで私の頭の中にいた、あの青年に他ならない。
 ゆっくりと声の方を振り向くと、印象的な緑の瞳が悪戯めいた色に揺れる。
「何だかやけに楽しそうですね。こんなところで、ニヤニヤしながらキャベツを見つめているなんて、ちょっと変ですよ」
 そうして彼は、私に向かい、呆れたようにそんな言葉を口にした。
「ニヤニヤは酷いなぁ」
 故意に生意気を装った恋人の言葉に、私は答え、小さく一つ肩を竦める。
 彼が時折こうした刺のある物言いをするところは、相変わらずだ。
 だけど今の私には、その瞳や声の響きの中に、親愛の情がはっきりと感じられる。
 だからもう、私は多少セイジュの言葉がきつくとも、戸惑ったりすることはない。
 と、私の短い抗議を聞いて、青年はさらに笑みを深くした。
「だって事実でしょう。野菜の棚を前にして、一人で表情を緩めてたのはユウシさんじゃないですか。ニヤニヤが気に入らないなら言い換えてもいいですけど、表現を変えたって僕は同じだと思うけどな」
「それはまあ、そうだけど」
 ……前言撤回。
 重ねてそんな言葉を告げられれば、さすがに私も閉口する。
 すると、少しだけ意地の悪い恋人は、困惑を浮かべる私を見遣り、大仰に一つ嘆息した。
「しょうがない人ですね。……大方、昨夜読んでた本の内容でも、思い出していたんでしょう?随分熱中してましたもんね。僕が何度声を掛けても、全然気付かなかったくらいに」
「……セイジュ?」
「あ、考え事の邪魔になるなら、僕はもう少し、時間を潰して来ましょうか?」
 ……。
 ………。
(そういうことか……)
 瞬間、さっきからセイジュの風当たりが強い理由をようやく理解し、私は内心そう呟く。
『ユウシさん』
『……』
『ユウシさんってば!!』
『え……何?』
『何、じゃないですよ。まったくもう……僕が何度呼んだかわかってますか?』
 確かに昨夜、眉を吊り上げたこの恋人から、そんなふうに言われたことは記憶にある。
 その時は確か「もういいです」と話を打ち切られたのだけど……どうやら彼のご機嫌は、すっかり直ってはいなかったらしい。
 だからセイジュは、私を故意に馬鹿にしたような物言いをしているのだろう。
 そんな青年の言動に、私はふと微笑ましさを噛み締める。
(まったく君は……。「しょうがない」なんて、言いたいのは私の方だよ)
 そうして、読書に夢中になり過ぎた自分のことは棚に上げ、私はふとそんなふうに胸の内で呟いた。
『寂しかったなら、そう言ってくれればいいのに』
 正直少し、そう言いたい気持ちはある。
 だけど意地っぱりなこの恋人は、そんな言葉を耳にしたら、余計にむくれてしまうだろう。
 だから私は、彼に一歩近付くと、軽く口角を持ち上げて、そのまま首を横に振った。
「嫌だなぁ。セイジュのことが邪魔だなんて、思う訳がないじゃない」
「……そんなのわかりませんよ」
 と、諭すような私の言葉に、恋人はまた口を尖らせる。
「そんなことないよ」
 なおもツンと視線を逸らすセイジュの顔を、私は真正面から目を細めて覗き込んだ。
「…?」
「だって……私がここでずっと考えてたのは、君のことなんだから」
「ッ……!」
 事実をそのまま口にすると、直後、エメラルドの綺麗な瞳が大きく揺れる。
 どうやら、すぐに言葉が出ないらしい。
 セイジュは私を凝視しながら、何回も唇を開きかけては閉ざすことを繰り返す。
 しかしやがて……。
「……ユウシさんって、時々恥ずかしいことを平気な顔して言いますよね」
 数拍後、頬を真っ赤な色に染めた恋人は、睨むように私を見据え、そんな文句を口にした。
「そうかな?私はいつでも思ったままのことしか言葉にはしてないつもりだけれど?」
「ッ……だから!!」
 しかし再度しれっと私がそう告げると、彼は今度こそ目を吊り上げて絶句する。
「………と、とにかく、早く買い物を済ませましょう。頼まれてたのは、これだけですよね」
 そうして暫しの沈黙の後、セイジュは強引にそこで話を打ち切ると、手にした調味料の容器をグッと私に押し付けて来た。
「っと……」
 やや乱暴に渡された品を、落とさないよう何とか受け止め、腕の中を確認する。
 ケチャップと乾燥バジルとオリーブオイル。
 確かにそれは、私はさっき、セイジュに頼んであったものに間違いない。
 しかも、銘柄にはこだわらないと言ったのに、それは今、二人が暮らすあの部屋にあるのと、まったく同じものだった。
(……本当に、君は……)
 調味料や食器、家具など、今あの部屋にあるものは、全て先に暮らし始めた私が買い揃えたものだ。
 多分、そこから好みを察して、セイジュは敢えて、同じものを選んで来てくれたんだろう。
(まったくもう、意地っ張りなんだから)
 私は胸に温かいものを覚えながら、そっぽを向いた青年の顔をじっと見つめた。
 そう。
 口では何だかんだと言いながら、セイジュの想いはこうした細かな言動から、確かに私に伝わって来る。
 それが私には、嬉しくて愛おしくて仕方がない。
「うん、間違いないよ。ありがとう、セイジュ」
 だから私は、ありったけの感謝を込めて、青年にそう告げる。
「どういたしまして。これくらい、お安い御用だよ」
 セイジュは私のその言葉に、ようやく少し表情を和らげた。
 これなら後は、もう一押し、というところだろう。
「ねえ、セイジュ」
 そう思い、また私は青年に呼び掛ける。
「何ですか?」
「まだ、トマトを取ってないんだけど。君が美味しそうなのを選んでくれない?」
 敢えて少し甘えるように、私は他愛もないお願いを口にする。
「わかりました!ちょっと待っててくださいね」
 と、直後。
 年下の恋人は微笑ましいほどキラキラと瞳を輝かせ、満面の笑顔で私にはっきり頷いた。

 食材の買い出しを終え、私達は分担して荷物を抱えて、マーケットを後にした。
「今日は、こっちの道から帰ろうか」
 戸口でそう促すと、セイジュは素直に顎を引く。
 AMATDSの病状が回復し、無事に退院したセイジュが、私と一緒にトザ市内の仮住まいで暮らし始めてから約10日。
 セイジュが町に慣れることと、少しずつ歩く距離を伸ばすことを目的に、私達は買い物に出る度、通る道を変えている。
 それは第一には、恋人の身体を考えてのことだけど。
 普段はあまり使わない通りを2人で歩くのは、私にとってもとても楽しいことだった。
 長く暮らした生まれ故郷の町並みも、セイジュと肩を並べて歩けば、別なものに見えて来る。
 それに……同じようにストリートと歩いていても、一人より二人の方が、色々な発見が出来るから。
 まだ日暮れには早い時刻。
 私は今日も、なるべく日陰を選びながら、恋人と肩を並べて小さな店が立ち並ぶトザの通りを歩いていく。
「やっぱり、トザの風はカイエンとは違いますね」
「そう?」
「はい。この前、端末でちょっと調べてみたんですけど、この辺りの農耕プラントは設備もかなり充実してて、……きっと僕達のように、砂や風に悩まされたりしていないんでしょう。だから、マーケットの作物も、あんなに皆出来がいいんだと思います」
 さっき、トマトを選んで貰った影響だろうか。
 セイジュはさっきから、プラントや農作物のことについて、熱弁を振るっている。
 私はそんな彼の左側を歩きながら、青年の弾んだ声に、笑顔で耳を傾けていた。
「へえ、そんなに違うんだ。私にはそこまでの違いはわからないけど、やっぱり実際に育てているから、作物の状態が、君にはよくわかるんだね」
 時折そんな相槌を打てば、翠玉の瞳はまた輝きを増して行く。
「そうかもしれません。僕もあそこで働くまでは、野菜の良し悪しなんて、見分けがつかなかったから」
 そうして彼は、少し誇らしげな顔で、そんな答えを口にした。
「なら、カイエンに戻ったら、私も少し君達のプラントを手伝ってみようかな」
 その顔に、心の奥が温かくなり、私はつい彼にそう告げる。
「ユウシさんが?」
「うん」
 以前使っていたシェアハウスは、ライテイ・ムナカタに絡む一連の事件解決に協力した報奨代わりに、古書店の設備ごと貰い受けることになっている。しかし、これからは気ままな自営業だ。暇を見て、プラントの手伝いくらい出来るだろう。
 そう思っての提案だ。
 しかしセイジュはそれを聞いて、口許の笑みに少しだけ苦いものを織り交ぜた。
「ならまずは、プラント内の歩き方や苗と雑草の見分け方からちゃんと覚えてもらわないとダメですね。せっかくの作物を、台なしにされちゃ大変ですから」
 そうして悪戯めいた瞳で、セイジュは私にそう答える。
 ……。
 また多少、刺のある物言いだけれど、素人が迂闊なことをして、せっかく育てた野菜や穀物を不意にしてしまうこともあるかもしれない。
 そう思って、とりあえず反論するのはやめておく。
「それは、君が私に教えてくれる?」
 楽しげなエメラルドの目を見つめながら、私は代わりに恋人にそう問い返す。
 と、セイジュは私のその声に、一つ大きく頷いた。
「勿論。やるからには厳しくいきますから、覚悟しておいてくださいね」
「わかった。せいぜいお手柔らかにお願いするよ」
 そんな言葉を交わした後、私達は同時にふっと目を細くした。
 その時だ。
「あっ……」
 不意に視線を横の露店に移したセイジュが、何かに目を留め、声を漏らした。
「セイジュ?」
「すみません、ちょっと……」
 呼び掛けると、青年は曖昧にそう断って、店の方へ駆け寄って行く。
 彼は戸口まで来ると、店の軒先に飾られたランチョンマットを暫くじっと見つめていた。
 ………。
 そういえば、今暮らす部屋のテーブルは天板が白いから、ランチョンマットがあればいいのにと、セイジュが幾度か言っていたのを思い出す。
 今セイジュが見ているものは、派手過ぎない明るめのオリーブグリーンの下地にベージュの生地が張られたもので、四角に濃い緑の糸でステッチのポイントが描かれてたシンプルなものだった。
 なるほど……自然な色合いやデザインを好むこの青年が、好きそうなものだと思う。
 そこまで考えてから、私はゆっくりと足を進め、恋人に近付いた。
「それ、気に入った?」
 隣に並ぶと、やけに真剣な横顔を見つめ、そんなふうに声を掛ける。
「うん、まあ……」
 療養中で収入がない身としては、欲しいとは言い辛いのかもしれない。
 セイジュは小さく苦笑しながら、そんなふうに言葉を濁す。
(セイジュ……)
 私は、そんな彼に微笑むと、おもむろに手を伸ばして、ランチョンマットを2つ手に取った。
「ユウシさん?」
「いいじゃない。これ、買って帰ろうよ」
「え、でも……」
 刹那、私の言葉にセイジュは露骨に複雑そうな顔をする。
「セイジュ」
 私はまた囁くように名前を呼ぶと、ぴったりと彼に寄り添った。
「ッ…?」
「そんな顔しないで。君の話を聞いてね、私も確かにランチョンマットは必要だなって思っていたんだ。それにこれは、見つけたのは君だけど、私も気に入ったからね。せっかく2人がいいと思うのが見つかったんだし、買って帰ろうって言っただけだよ」
 そうして私は、諭すように彼に向かってそう告げる。
「だけど、絶対に必要って訳じゃないですよね。ならやっぱり、やめた方がいいんじゃないですか」
 と、生真面目な青年はまたそんなことを口にする。
「平気だよ。そんなに高いものじゃないし。それに、こういう実用的なものは、その分ちゃんと使ってあげれば、無駄使いにはならないだろう」
「……確かに、それはそうですけど」
 そこでようやく、セイジュは少し表情を和らげる。
「うん。それに、こういう掘り出し物を見つけるのが、寄り道の醍醐味だからね。こういう機会は、ちゃんと活かしておかないと」
「大袈裟だなぁ」
 さらに一言、私が冗談めかして付け加えると、セイジュは今度は楽しげに喉を震わせた。
「わかりました。じゃあ、買っていきましょうか」
「決まりだね」
 私達は、互いの意志を確認して、それぞれに目を細める。
 と、刹那。
 不意に何かの感情を湛えて、エメラルドの目が小さく揺れた。
「寄り道、か……」
「え?」
 独り言めいた呟きに、思わず私は疑問の声を漏らしてしまう。
 するとセイジュは、ゆっくりとこちらを見遣り、また静かに唇を解いた。
「僕、実を言うとトザに来るまで、寄り道とか遠回りとか、そういうのは大嫌いだったんです。ほら、だって目的地がちゃんとあるのに、真っ直ぐそこへ行かないなんて、何だか怠けてるみたいじゃないですか。……僕は、一つでも多くのことを、自分の手でやり遂げたいってずっと思っていましたから。だからそういうの、はっきり言って嫌いでした」
「君らしいね」
 静かに続く青年の言葉に、私はそんな呟きを口にする。
 確かに、あの辺境の町にいた頃のセイジュは、何処までも真っ直ぐに前だけを見て全力で走っていた。
 止まることを恐れるように。
 目指すもの以外のものを、決して見ないようにして。
 私の言葉に、セイジュは少し、微笑みに苦いものを織り交ぜる。
「あまり深く考えたことはなかったけれど。……多分、こんなふうに実際に歩く時だけじゃなく、僕は生きるっていうことも、同じように考えていたんだと思います。あの頃の僕は、自分の人生を、時限付きの急行列車みたいなものだと思ってた。目的地に辿り着くには、脇道へ逸れることもスピードを緩めることも許されないって」
「………」
「でも、違ったんですよね。それは僕の単なる思い込みだった。本当は、走る速度は自分でちゃんと決められるし、一本に見えたレールだって、決して1つだけじゃない。むしろ、線路からそれてみたら、新しく見えて来るものもあるんだって、僕はようやく、それに気付けた気がします。多分それは、貴方がいてくれたから」
「セイジュ」
 眩しそうに、目を細めた青年に、私はまた呼び掛ける。
 そして、手にした荷物を持ち替えて空けた右手で、私は彼の骨張った指を、静かにそっと包み込んだ。
「ユウシさん……」
「ありがとう。今の言葉、私はすごく嬉しいよ」
 そうして湧き上がる想いのまま、感謝の言葉を口にする。
 そして私は、また少し力を込めて、白く細い指先を包む右手をぐっと握り直した。
「実を言うとね、私はずっと怖かったんだ。真っ直ぐに進むことしか知らない君が、いつか私を置いて行ってしまうんじゃないかって」
「ッ……!」
「でも、今の言葉でよくわかったよ。もう、そんな心配は必要ない。私達は、ずっと一緒に歩いて行けるっていうことが、ね」
「ユウシさん……」
「さあ、まずはこのランチョンマットを買ってしまおうか」
 昼日中にこんな言葉を口にするのは、さすがに少し照れ臭くて、私はそこで話を切って立ち上がる。
「そうですね」
 一瞬きょとんとしていたセイジュは、すぐに頷き、同じように腰を上げた。
 私達は、そのまま並んで店の奥へ歩き出す。
 と、刹那。
 私の脳裏に、不意にある名案が閃いた。
「ねえ、セイジュ」
 その考えに、高揚を自覚しながら、私は恋人を振り返る。
「何ですか?」
「これを買ったら、今日は家まで手を繋いで帰らない?」
「ッ……!」
 今思いついた名案をそのまま口にしてみると、案の定、恋人は真っ赤な顔で絶句する。
「な、何を……」
 しかし、すぐに拒否しないところを見ると、どうやら怒られる心配はなさそうだ。
 さっきまで触れていた指先の温もりは、まだ右手に残っている。
 それはきっとセイジュも同じで……だからこそ、彼は照れや衒いを覚えながらも、断われないでいるのだろう。
 それから私は、そんな彼の背中を押すだけだ。
「ね、セイジュ」
 私はまだ動揺に揺れている翠玉の目を覗き込むと、さらに笑みを深くして、困惑する恋人を短い言葉でそう促す。
 そして待つこと3秒半、セイジュはぷいと視線を棚に移すと、今にも消え去りそうな声で「いいですけど」と呟いた。





<後書き>
セイ誕2010、3作目はほのぼの路線のユウセイです。でも、いつもよりもユウシがセイジュをちゃんと操縦(?)出来ている気がします。お題を見た時、会話の内容はあっさり思いついたんですが、それ以外の会話については、完全にキャラまかせ、その結果がこんなふうになりました。良かったのか、悪かったのか……。
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お題「行き先は歩きながら」 コウ×セイジュ

「コウさん、ちょっと休憩にしませんか?」
「ん、ああ…」
「あの、よければ僕、コーヒーでも煎れて来ますけど」
「……」
 二度目の呼び掛けに、答えらしい答えはなかった。
(まったく、この人は……)
 そう心の中で呟いて、僕は細く息を吐き出す。
 もう長く一緒に暮らしているんだから、さすがにこの人のこういう面は、僕だってよく知っている。
 いや……だからこそ、僕はこうして苦笑せずにはいられないんだ。
 ……。
 もう一つ、呆れ気味な吐息を漏らして、僕は座り込んだ恋人の方へ目を向ける。
 改めて見てみれば、いつも僕を真っ直ぐに見てくれる山猫みたいな金茶色の双眸は、嬉しさや楽しさを隠そうともせずに自分の手元を見つめていた。
 いや、正確に言うのなら、大きな掌の上に乗った、僕にはおよそ用途のわからない金属片を、だ。
(本当に、子どもみたいなんだから)
 さっきまでは、一応返事はしていたけれど、その瞳はまだ僕を映していない。
 これじゃ、買って貰った大好きなおもちゃに熱中する少年と同じじゃないか。
 その様子に、僕は内心、そんなことを考える。
 そう、4日前に大量の部品をトラックに乗せて帰って来てから、この人はずっとこうだった。
『お帰りなさい、コウさん。っ?!……あの、何ですか、この荷物?……』
『ただいま、悪かったな、急に出掛けちまって。こいつが出来たら、一番にお前を乗せてやるから、まあ勘弁してくれよ』
 あの日の夕方、行き先も告げずに出掛けていたコウさんは、僕を見るなり表情を輝かせて、そんな言葉を口にした。
『……え、乗せるって?』
『ああ!』
 そうして重ねて尋ねると、刹那、浅黒い精悍な顔付きが、不意に無邪気な笑顔に変わる。
『これ、今はこんなジャンクだけどさ。組み上げたら、ちゃんとした電気バイクになるんだぜ』
『バイク、ですか?』
『そうだよ、バイクだよ!しかもこいつは、結構なシロモンだぜ。燃費もいいし、ギアやステアリングも、この時期に作られたモンにしちゃ悪くない。それに、ちょっと改造してやりゃ、加速だって、もっとグンとよくなる筈だぜ』
 ……いや、別に僕にとっては、このバイクのスペックがどうであろうと、あまり関係はないと思うけど。
『でも、コウさんはバイクをもう、ちゃんと一台持ってるじゃないですか』
 最初に思った一言は胸の内に押し止めて、僕は代わりにそう聞き返す。
 今も管理小屋の裏手にある、年代物のその存在が何となく気になってしまったからだ。
 古いけれど、ちゃんと丁寧に手を入れてある、大きめのガソリンバイク。
 それは、コウさんがエデマ時代に、このカイエンで組み立てたものだった。
 誰にも内緒のことだけど、まだプロメテウスと呼ばれていた頃に、僕も一度、乗せて貰ったことがある。
 そう、いわば僕達にとって、あれはちょっとした思い出の存在だ。
 直接聞いたことなんてないけれど、僕も、そしてコウさんも、多分そう思っている。
 だからこそ、あのバイクは今でもこのプラントにちゃんとあるんだ。
「……」
 そこまで考えて、僕はふと目を細くする。
 本来、コウさんがエデマを離れた段階で、あのバイクも軍部に没収されていたっておかしくはなかった筈だと思う。
 だけどコウさんは、自分がカイエンを離れる時に、あのバイクのことをちゃんとナガルさんに託しておいた。
『俺がここに戻って来るまで、こいつを預かってて欲しい』
 未来なんて……明日のことさえわからないあの状況で、はっきりとそんな言葉を口にして。
『多分、コウ君は君と一緒にこの町へ戻る、そんな未来を信じたかったんだろうねえ。あたしはそう思ったんだ』
 耳の奥に、おっとりとした老人の声が蘇る。
 僕はその事実を、後でこっそりナガルさんから教わった。
 そしてこの町に戻った翌日、コウさんは真っ先に「とかげのしっぽ」までこの預け物を取りに行った。
 勿論、その時は僕も一緒に。
『生憎と、あたしはあんな精密機械の整備なんざ出来ないからねぇ。放りっぱなしになっちまってて申し訳なかったが、今日からは、その分また君がちゃんと手を入れてやったらいい』
『ああ、わかった。……サンキュ、爺さん』
 再会した愛車の車体を愛しげに撫でたコウさんの顔。
 嬉しさを感慨深さが滲んだ瞳。
 あの笑顔を、僕は絶対に忘れない。
 このプラントに引き取って来てからは、エンジンに火を入れることこそなかったけれど、気がつくとコウさんは、あのバイクのところに行って、メンテナンスを行っていた。
 その様子を見ていれば、この人がどれだけあのバイクを大切にしているかなんて明白だ。
 それなのに……。
(いくらいいものが手に入ったって、コウさんがあのバイクからあっさり新しいのに乗り換えるなんて、ちょっと考えられないんだけど)
 そう思えば、やっぱりどうしても釈然としないものが湧き上がる。
 と、そんな僕の言いたいことが、どうやら伝わってしまったらしい。
 刹那、年上の人は、不意に小さく苦笑すると、僕の肩をポンッと叩いた。
『おいおい、何を難しい顔してんだよ。俺は別に、今あるヤツを捨てようなんて思ってないぜ』
 そうしてコウさんは、先回りしてそう告げる。
『え……なら、今回のは、組み立てたら、誰かに譲るつもりですか?』
『いや、違う。こいつもやっぱり俺のモンだ』
『……』
 言いたいことが飲み込めず、僕は思わず押し黙る。
 するとコウさんは、また少し口角を持ち上げて、僕に一つ目配せした。
 そうして年上の人は、おもむろに視線を荷台の上のジャンクに移す。
『こいつはさ、電気バイクなんだよ』
『電気?』
『ああ……さすがに今あるガソリンバイクは、そう滅多やたらに動かせねぇだろ。だが、こいつは違う。組み上がっちまえば、ちゃんと普段から乗れるんだ』
(あ、そうか……)
 コウさんの言いたいことが何となく伝わって、僕は小さく顎を引く。
 と、直後。金茶色の鮮やかな目は、また僕を見返して、ふっと優しい弧を描いた。
『二人でどっか出掛けんのに、バスを待つのは面倒だし、いつまでもプラントのトラック使うのも何だろ。だから、1台電気バイクがありゃ便利なのにって、実は前から思ってたんだよ。で、今回ちょうどいいのが入ったって工場のヤツらから連絡があって、そいつをさっき貰って来た』
『コウさん……』
 名前を呼ぶと、年上の恋人は白い歯を見せて、屈託のない笑顔を浮かべる。
『だから、こいつが出来たら、二人でもっと色んなところに出掛けようぜ。な、セイジュ!』
 そうしてコウさんは、子どもみたいな瞳をして、僕にさらにそう付け加えた。
『わかりました!完成するのを、今から楽しみにしてますね』
 そんな顔を見せられてしまったら、頷くことしか出来なくなる。
 僕にとっても、あの時みたいにコウさんとバイクに乗れるのは、やっぱりすごく嬉しいから。
 だから僕は、期待に胸が高鳴るのを感じながら、はっきりと顎を引く。
 コウさんは、そんな僕を真っ直ぐ見詰めて、不意にくしゃりと僕の髪に長い指を差し入れた。

 そしてそれから丸4日。
 コウさんは、仕事以外の時間はほとんど、バイクの修理に費やしていた。
 その間は、さっきみたいに生返事を返されたことが何度あったかわからない。
 いや、むしろ大半が、そんなふうだった気さえする。
(まったくもう……、こういうところは本当に子どもみたいなんだから)
 そんなコウさんの背中を見ながら、僕は何度も苦笑混じりの吐息を漏らした。
 恋人の自分を差し置いて、バイクにここまで没頭されれば、僕としては勿論少し面白くない。
 もう短くない付き合いから、こういう人だと理解はしているものの、それでも寂しいとか悔しいとか、そんな感情は、否応なしに胸の奥から湧いてくる。
 だけど、毎日作業が終わる度に、「思ったより各パーツの傷みが少ないんだ」とか、「この分なら今週中に何とかなるかもしれないぜ」とか、ご機嫌な顔で経過報告をされてしまえば、何となく、文句なんて言えなくなる。
(まあ、今週中には終わるって言ってたし。今はしょうがないのかな)
 そうして結局、僕は完成まではコウさんの好きにしてもらおうと心を決めた。
 けれど……。
 だからと言って、炎天下でこんなふうに休憩もとらないで延々作業を続けられたら、さすがに一言言いたくなって当然だ!
「……」
 目の前で、テキパキとパーツを組み立てていく手捌きを見ながら、僕は無理にでも一旦作業を止めさせるべきかと、かなり真剣に考える。
 と、その時だ。
 持っていたパーツを横に置くと、不意にコウさんが一つ軽く伸びをした。
(チャンスだ!)
「コウさん」
 ようやくパーツから手と目を離した恋人に、僕はすかさず呼び掛ける。
「ん?…ああ」
 コウさんは、僕の方を振り向くと、吊り上がり気味な金茶の瞳を、きょとんと見開き声を漏らした。
「……セイジュ?何だ、様子見に来てたのか」
 そうして年上の恋人は、ふっと表情を和らげて、そんな言葉を口にする。
「……」
 ……。
 どうやら、さっきまでの生返事は、相手が誰かもわからないまま、返していたものだったらしい。
「来てたのかって……。さっきコウさん、ちゃんと返事してたじゃないですか」
「ん、そうか……?はは、悪ぃ。何がなんでも、今日中にコイツを仕上げてやるって気合い入れてやってたら、ちょっと集中し過ぎたみてぇだわ」
 案の定、返事のことを指摘すれば、コウさんは困ったような笑みを浮かべる。
「まったく……」
 僕はそんな恋人の呆れたように呟いて、呼応するみたいに口の端を持ち上げた。
 ……本当は、もっともっと怒ってもいいのかもしれない。
 でも、今の反応を見てしまったら、何となく「もういいや」っていう気になった。
 まあ、この辺が、コウさんのずるいところなんだけど。
「確かにだいぶ根を詰めて作業してたみたいですね。進み具合はどうですか?」
 一つ小さく肩を竦めて、僕は文句の代わりにそう尋ねる。
 するとコウさんは、白い歯を見せながら、大きく一つ頷いた。
「ああ、順調だぜ。これなら、夕方くらいには、試し乗りが出来そうだ」
「そうですか。思ったより、早く完成しそうでよかったです」
 僕はそう答えると、おもむろに足を前へ踏み出す。
 そうしてそのまま、バイクのすぐ前……コウさんの左隣に同じように屈み込んだ。
 ……。
 念入りにコウさんが手入れした電気バイクは、強烈なカイエンの日差しを浴びて、目に痛いくらいキラキラと輝いていた。
 たった数日前までは、光沢もない、古ぼけた単なるジャンクだったのに……。
 そう考えれば、何だか隣にいる人は、魔法でも使ったんじゃないか、なんて気さえする。
 ふと、視線を横へ移せば、コウさんはすぐ傍に来た僕を、優しい瞳で見つめていた。
 その目に応えて一つ頷くと、僕は銀色に輝くパーツの一つに、何となく指を沿わせる。
「試し乗りって、何処に行くか、もう決めているんですか?」
 そうして何となく、僕はそんな問いを口にした。
「いや、別にそういう訳じゃねぇよ」
 と、コウさんは笑いながら、小さく左右に首を振る。
「コイツの調子を見るのが一番の目的だしな。それに、バイクってのは、自分でステアリング握って、風切って走るの自体が気持ちいいモンだろ。だから行き先とか目的とか、そんなモンは正直あまり考えちゃいねぇんだ」
 そうしてコウさんは、また子供みたいに目を輝かせて、そんな言葉を付け加えた。
『別に何処だっていいじゃねぇか。行き先は歩きながら決めりゃいいさ』
「……」
 そういえば、二人で歩いている時も、コウさんはよくそんな言葉を口にする。
 最初は、目的もなく歩くことに少し抵抗も覚えたけれど、僕はすぐに、それはいい加減さや無計画が原因じゃないと理解した。
 そう……。
 コウさんは、プランや目的がなくても、その時間を楽しめる人なんだ。
 バイクに乗る時、僕といる時。その時々が充実しているのなら、別にその場所は、何処だって構わない。
 この人は、そういう性格なんだろう。
 今の説明からすると、それはコウさんの、というよりもバイク好きな人達共通の性質なのかもしれない。
「へぇ、バイク好きって、そういうものなんですか」
 僕が小さく呟くと、コウさんはニッと口角を持ち上げて、小さく一つ目配せする。
「ああ。皆とは言わねぇが、大半のヤツはそうだと思うぜ」
「コウさんの周囲の人達も?」
「そうだな。……バイクにはさ、何つうか、車にはねぇ機械との一体感みたいなモンがあるんだよ。だから、運転するってこと自体が何だかやけに楽しいんだよなあ。この快感は、一度知ったら結構やみつきになっちまうんだぜ」
「なるほど」
 そんなふうに答えながら、僕はふと、ずっと前にガソリンバイクに乗せて貰った、あの夜のことを思い出す。
『心配すんなよ。ちょっとこの辺、一回りするだけだ』
 あの夜のコウさんは、まだ敵対する立場にあったこのプラントに不意打ちのようにやって来て、一人その場に駆けつけた僕を、そう言って外へ連れ出した。
 バイクのタンデムシートに乗ったのは、あれが生まれて初めてで、最初はかなりドキドキしたのは、今でもはっきり覚えてる。
 だけど、それでも自動車とは違う、全身に風を受ける感覚は、確かにすごく気持ち良かった。
 まあ、もっともコウさんに乗せて貰っていた身には、自分でバイクを運転することで得られる快感までは、理解できなかったけど。
(……ちょっと、悔しいかも……)
 刹那、僕の胸に少しだけ苦いものが湧き上がる。
 こんなに近い場所にいるのに、まだ自分にはわからないコウさんがいる。
 その事実が、僕には少し面白くなかった。
「……何だかちょっと、羨ましいなあ。乗せてもらっているばかりじゃ、その感覚はわかりませんから」
 だから僕は、ついそんな言葉を口にする。
「セイジュ?」
 独り言みたいに呟く僕に、コウさんは、不思議そうな顔をした。
 僕はそんな金茶の瞳を振り仰ぐと、ふっと少し目を細める。
「……?」
 「ねえ、コウさん。もし僕が、バイクの免許を取ろうかなって言ったら、コウさんはどう思いますか?」
「………え」
「はは、嫌だなあ。そんなに驚かないでくださいよ。……だってそうすれば、今コウさんが言ったことが、僕にもきっとわかるでしょう?だから、いいアイデアかなって思ったんですけど」
「……」
 僕の提案が、あまりに意外だったんだろう。
 重ねてそう尋ねても、コウさんはポカンと口を開けたまま動かない。
 だけどやがて、年上の恋人は、不意にパッと表情を綻ばせ、ぶんぶんと顎を引いた。
「マジかよ?いいな、それ!最高じゃねぇか」
 そうしてコウさんは、興奮ぎみに僕に向かってそう告げる。
「本当に?」
「ああ!こんなことで誰も嘘なんかつかねぇよ」
 コウさんは、もう一度だけ確かめた僕にはっきりと頷くと、また楽しそうに金茶の瞳を細くした。
「そしたら俺、工場のヤツらに頼んで、もう一台分ジャンクのバイクを探してもらうわ。2台ありゃ、2人でツーリングにも行けるし、生活も何かと便利だろ」
「そうですね。その方が、色んなところに行けそうです」
 心の底からはしゃいだ様子のコウさんに、いつの間にか、僕もさらに口許の笑みを深くする。
(こんな顔をして貰えるなら早く免許を取れるように頑張らないと)
 そして僕は、まだ満面の笑みを崩そうとしない恋人を見ながら、そんなことを考えた。
 だけど……。
 刹那、不意に何か違うことを閃いたというように、コウさんは苦いものを口許の笑みに織り交ぜる。
「あ……だけどな。セイジュ」
「はい?」
「あんまり無理して、早く免許を取ろうとしなくてもいいぜ」
 そうして少しバツが悪そうに、コウさんはそんな言葉を口にする。
「……?」
 唐突に、冷水を浴びせるような言葉を掛けられ、僕は思わず驚きに小さく息を飲み込んだ。
「どうしてですか?まさか、体力的に僕には厳しいとか、また無茶をしそうで心配だとか、そんなふうに考えているんじゃないですよね?」
 せっかくやる気になったところで出鼻を挫かれ、思わず僕はそう詰め寄る。
 けれど、コウさんはそんな僕に苦笑して、小さく左右に首を振った。
「そうじゃねぇよ。……ただ、お前が免許を取っちまったら、当然タンデムするのは減っちまうだろ。そいつは少し惜しい気がするって、そんなふうに思っただけだ」
「コウさん?」
 言葉の意図が飲み込めず、僕は問うみたいに名前を呼ぶ。
 と、瞬間。
 恋人の金茶の瞳が、意味あり気に揺れた。
「だってよ、お前が俺にしがみついてくれんのなんて、ベッド以外じゃバイク乗る時くらいだろ。そいつがなくなるってのは、俺としちゃ勿体なくもあるんだよ」
「なっ……?!」
 刹那、満面の笑顔で言われた言葉に、僕は思わず絶句する。
 ……。
「………」
 意識しなくとも、頬や耳が熱くなるのがはっきりわかる。
 胸の奥で、心臓がドクドク音を立ててうるさい。
「ちょっ……コウさん、……いきなり何馬鹿なこと言ってるんですか!」
「馬鹿じゃねぇよ。俺にとっちゃ、大問題だ」
「……」
 数秒後、やっとの思いで口にした抗議の声は、あっさりそう受け流される。
(もう!この人は……)
 睨むように見つめても、弧を描いた金茶の瞳は変わらない。
 明るく綺麗なその色に、僕は多分今の自分に勝ち目がないだろうことを、改めて思い知らされた。
「ッ……!」
 恥ずかしさと苛立ちと悔しさと……。
 そんな感情がごちゃ混ぜ 似なり、僕の中を掻き乱す。
 目の前にいる人に、赤く染まった自分の顔を見られたくなくて、僕は思わずついと視線を横へ逸らした。
 と、直後。
「セイジュ……」
「ッ!」
 耳元で囁くように名前を呼ばれ、甘い響きに鼓動が大きく跳ね上がる。
 その瞬間、力強い2本の腕が、僕をふわりと包み込んだ。
「っ……コウさん!」
 こんな場所で……。
 肩を抱き竦めて来る恋人の腕から逃げ出そうと、僕は小さく身を捩る。
「大丈夫だって。誰も見てねぇからさ」
 すると、僕の困惑をあっさり察したコウさんは、また耳のすぐ傍で、そんなふうに囁いた。
「………」
(敵わないなぁ……)
 どうしてこの人は、こんなふうに簡単に僕の心を理解して、最良の方法で包み込んでしまうんだろう。
 逆にぐっと強い力で引き寄せられ、確かになる温もりに、僕はぼんやりとそんなことを考える。
 大好きな人の体温と臭いに包まれた瞬間、僕はもう抵抗の術を無くしてしまった。
 だいたい、しがみつく云々はともかく、普段から僕がこの人に対して受け身の立場になっているのは、こっちが触れるより早く、コウさんがいつもこうして先回りして甘やかすからじゃないか。
 そうしてつい、僕は胸の奥底でそんな不満を口にする。
 そう。
 だからこの腕の中は、すごく居心地が良くて……同時にちょっと悔しいんだ。
(コウさん……いつも先を越されるけれど、僕だって貴方に触れたいって、ちゃんと思ってるんですよ)
 言えない言葉を胸の内で呟きながら、僕は真正面から、金茶の瞳を仰ぎ見る。
「ん、どうした?」
「何でもないです」
 コウさんは、少し不思議そうな顔をしたけど、僕は故意にそんなふうに言葉を濁した。
 そして……。
(だから、こんなところでしがみつくのは、さすがにちょっと照れ臭いけど、これくらいは出来るんだ!)
 周囲をざっと一瞥して、誰もいないのを視界の隅で確認する。
 そうして僕は、ぐっと伸び上がるようにして、緩く弧を描いた唇をコウさんのそれにほんの一瞬触れさせた。




<後書き>
セイ誕祭2010、2作目のコウセイです。感じとしては、相変わらずラブラブな2人のバイクに関するエトセトラ、でしょうか。セイジュ視点で書いたせいか、今回は珍しく(当社比)、セイジュがコウを好きで仕方ない話になった気もします。まあ、あんなことを言うあたり、コウ君もどっちもどっちですけどね、
posted by 二月 at 09:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | BD企画2010【平行線】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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お題「平穏であるという幸せ」 ケンショウ×セイジュ

 幾度か瞬きを繰り返した後、ゆっくりと目を開ける。
「……」
 最初に視界に入って来たのは、見慣れた色の寝室の天井とそこに射す朝の光。
 そして、傍らの温もりに誘われるように少し頭を擡げると、自分のすぐ隣では、年下の恋人が穏やかな寝息をたてていた。
 ……。
 こちらを向き、無防備に眠り続けるその姿に、心の奥がじわりと熱くなるのを自覚する。
 俺はそこで一つ嘆息すると、おもむろに手を伸ばし、柔らかい薄茶色の髪に触れた。
 自分のものとはまったく違う柔らかく滑らかな感触が心地良い。
 ところどころ朝日を浴びて金色に輝くその髪は、俺の指を簡単に擦り抜けて、さらりと零れ落ちて行く。
 ……よほど深い眠りの中にいるのだろう。
 しかし髪から耳へ、耳から頬へと指の先を滑らせても、当の青年が目を覚ます気配はない。
「セイジュ……」
 一つ名を呼び、その事実を確かめてから、俺はそっと手を離し、そのままベッドを抜け出した。
 手近にあったシャツを羽織り、部屋の様子を一瞥してから戸口へ向かう。
 と、その矢先、あることを思い出して踵を返すと、俺は一旦ベッドの傍まで戻って来た。
 律儀な年下の恋人が、毎晩必ずセットしているアラームを解除するためだ。
「……ん……」
 手にした時計を元の位置に戻したところで、ベッドの上からむずかるような声が漏れる。
「……?」
 起こしたかと、咄嗟に俺は息を詰めて恋人の顔を覗き込む。
 が、どうやらそれは、俺の杞憂であったらしい。
 いつでも自分を真っ直ぐに見上げるエメラルドグリーンの双眸は、まだ固く閉ざされたままだった。
 ……。
 その事実に、何だか酷く安堵する。
 そんな自分に思わず小さく苦笑をして、俺は今度こそ、ベッドを離れ、そのまま寝室を後にした。

 洗顔を終え、邪魔な髪を無造作に束ねると、俺はそのままキッチンに足を向けた。
 無論、恋人が眠る今のうちに朝食の支度を済ませるためだ。
 昨夜のメニューや買い物の内容を反芻しつつ、冷蔵庫の中を確認する。
 幸いにして、めぼしい材料はすぐに見つかった。
 卵はスクランブルエッグにでもして、ハムと簡単な生野菜を添えればいい。
 後はトーストを焼き、コーヒーを煎れ、昨夜のスープを温め直せばいいだろう。
 元々、手の込んだものを作るつもりもない。
 すぐに用意するべき献立を決定すると、俺は必要な材料をカウンターの上に並べて行く。
 その最中、視界の隅で扉に立てられた調味料類を確認するが、幸いなことに、そこに見慣れぬ瓶の類は見つからなかった。
「……」
 どうやら、今のところ、あの恋人は料理に関して独創的な研究を再開する予定はないらしい。
 そう考え、俺は堪らず苦笑する。
 元々几帳面な性格で、プラントに来た当初はともかく料理に慣れた今となっては、レシピ通りに作る方が容易いだろうに。にも関わらず、あの恋人は時折持ち前の向上心や研究心を、料理に対して少々間違った方向で発揮する癖がある。
 そんな時は、普段この家の冷蔵庫には入ることのない食材や調味料が、自然と増えているものだ。
 だから俺は、自分がキッチンに立つこういう時を利用して、定期的に冷蔵庫の確認を行っている。
 この部屋でセイジュと暮らして早1年。
 意地っ張りな青年の機嫌を損ねず、上手くそれを断念させる方法なら、既に俺は熟知している。
(しかし、実際に説得を行うことは、ここ最近大分少なくなったのだが)
 と、不意に脳裏をそんな考えが掠めていく。
 この数ヶ月。俺が冷蔵庫の中に、懸念のものを見つけたことは一度もない。
 その理由は、セイジュから料理の興味が薄れたという訳ではないのだろう。
 この部屋で一人時間を持て余していた療養期間中とは違い、あの青年は今、ちゃんと仕事を持っている。
 かつて俺に話して聞かせた「いつか」を胸に描きながら、あの真っ直ぐな恋人はこのトザでも農耕プラントで働くことを選択した。
『首都圏は、プラント技術も最新のものが次々に導入されますからね。目まぐるしいけど、毎日がとても勉強になるんです。今はまだ、大したことは出来ないですけど、今度会う時までに色んな知識や技術を身につけて、皆をビックリさせてみせますね』
 プラントの仕事を始めた当初、誇らしげな笑顔とともにそう言って胸を張った恋人の表情は今も記憶に新しい。
 そして事実、セイジュは帰宅してからも、よく端末やパソコンを用いて、プラント技術の勉強に励んでいた。
『あ、お帰りなさい』
 帰宅の遅い俺が部屋へ戻って来ると、画面から顔を上げたセイジュがこちらを見て笑う。
 それは最早、俺達の日課だと言ってもいい。
 そんな彼には、今料理の工夫に割く時間は、あまりないのかもしれない。
 俺としても、それは非常に喜ばしいことなのだが。
 そんなことを考えるうちに、トースターの切れる音がする。
 俺は手早く取り出したパンを皿に乗せると、スープを温めていたコンロの火を止め、テーブルの方を振り返った。
「……」
 これで一通り、朝食の用意は済んだことになる。
 ふと、棚に置かれたデジタル時計に目をやれば、時刻は8時を5分ばかり回っていた。
 普段であれば、2人ともそろそろ外出する時刻。
 だが今日は、時間を気にする必要はない。
 セイジュは、担当のプラントで機材の入れ替えがあるため今日は休み。
 かく言う俺も、昨夕に締め切り通り2つの調査報告書を出し、今日は一日オフを貰った。
 いや……正確に言うのなら、意図的にそう仕向けられた、というのが恐らく適切なのだろう。
『ご苦労様でした、ウライ中尉。一段落したことですし、明日……25日は1日ゆっくり休養をとってくださいね』
 昨夜、回線を通じて目にしたこの国の元首の笑みを、改めて思い出す。
 以前から変わらない胸の奥を見せぬ微笑と、敢えて「25日」と日付を強調した言い回し。
 その2つから、俺は大佐の意図するところを、はっきりと理解した。
 ……元々、国際会議や重要な会談がある訳でもなし、2つの報告書の提出期限を24日とすることに、何の意味があるのかと、訝しくは思っていたのだが……。
 何のことはない。
 つまりはそれは、恋人の誕生日である8月25日に俺に休みを取らせようという、大佐のお節介であったらしい。
(仮にも一国の大統領が、そんな個人的な問題を考えている場合ではないだろうに)
 そう考えれば、俺は苦笑を噛み殺さずにはいられない。
 頼みたい仕事は幾らでもあると日頃は口にしていながら、一体何の気まぐれか、大佐は時折、こんなふうに俺に余計な気を回す。
 もっとも、自分の目的達成の為に、慎重かつ合理的な策を講じることを好む男だ。
 俺のモチベーションを高めることも、自分の目的を果たす上で有効と、考えているのかもしれないが。
「……」
 そこまで思案を巡らせて、俺は一つ嘆息する。
 ……。
 大佐が何を考えようが構わない。
 しかし今はひとまず、この好意に甘えるとしよう。
 大切な恋人の誕生日を、一日一緒に過ごせることは、俺にも無論幸いなことなのだから。
 そう結論付け、俺は15分程前に歩いた廊下を、寝室へと引き返す。
 音を立てぬよう、静かに木製の扉を開ければ……ベッドの中の恋人は、さっき見たのと寸分違わぬ姿勢のまま、まだぐっすりと眠っていた。
 ……。
 後ろ手に戸を閉めてから、俺はベッドのすぐ傍までやって来る。
 傍らに立ち、真上から覗き込むと、恋人は起こすのが忍びないほどあどけない顔をして、気持ち良さそうに眠っていた。
 その寝顔に、思わず俺はまた少し口角を持ち上げる。
 ……。
 この1年で、気持ちばかりが空回りしていた青年が随分頼もしい大人の顔になったものだと、時折考えているのだが、こういう無防備な表情は、以前とまったく変わらない。
 その事実に、俺は微笑ましさと、青年への愛おしさを噛み締める。
「セイジュ……」
 俺はぐっと身を屈めて、そんな恋人に顔を寄せると、囁くように耳の傍で呼び掛けた。
 もう少し寝かせてやりたい気もするが、あまり朝寝をさせ過ぎても、かえって目を覚ましたセイジュは機嫌を損ねるだろう。
 そう判断し、恋人の眠りを、敢えて妨げることにする。
「セイジュ」
「……ん?…っ……」
「セイジュ、起きろ」
「……ケンショウ…さん……」
「ああ」
 曖昧な声で名を呼ばれ、俺は小さく顎を引く。
「そろそろ起きろ。朝食の支度が出来ている」
「え……?あ、そっか……もう、そんな時間……」
 眠い目をこすりながら、セイジュは次第にはっきりと俺の声に答え始める。
 が、直後。
「って、……えっ?!」
 不意にハッと目を見開いた青年は、驚きの滲む細い声で呟くと、そのまま勢いよく上体を持ち上げた。
「ッ…?」
 突然のことに、目を見張ったこちらの顔を見ることもなく、飛び起きたセイジュは困惑に瞳を白黒させ、ベッドサイドの時計や端末に目を向ける。
「す、すみません。僕、寝過ごしちゃったみたいで……。でも、あれ?おかしいな……。昨日確かにアラームをセットしておいた筈なのに……」
 そうして恋人は、心底慌てた口振りで、そんな言葉を口にする。
 それを聞いて、俺は堪らず吹き出した。
「……ケンショウ、さん?」
「気にするな。アラームを解除したのは俺だ」
「え?」
「お前をもう少し寝かせておこうと思ってな。先程、食事の支度をしに行く際に、俺が敢えて止めていった」
「……」
 俺の答えに、青年は二度三度と瞬きを繰り返す。
 が、やがて……、ようやく状況を理解した恋人は、一つ小さく頷くと、何処か複雑そうに口の端を持ち上げた。
「ごめんなさい。今日の朝食当番は僕だったのに、ケンショウさんに代わって貰ってもらってしまって」
 どうやらセイジュは、俺の意図を完全に理解した訳ではないらしい。
 すまなそうに眦を下げ、恋人は今度はそんなことを言う。
 いかにも生真面目で自分のことに頓着しないこの青年らしい物言いに、俺は苦笑と同時に、また少し暖かいものを胸の奥で噛み締めた。
 そうして甘い衝動のまま、青年の薄茶色の髪にそっと指を差し入れる。
「ケンショウさん?」
「気にするな。俺はさっきもそう言っただろう。今日はお前の誕生日だ。俺に朝食くらい作らせてくれ」
 苦笑混じりに胸の内を言葉にすると、エメラルドグリーンの瞳がまた揺れる。
 そして直後、青年は何処か面映そうに、ふわりと小さく微笑んだ。
「はい……。ありがとうございます、ケンショウさん」
 そうしてセイジュは、真正面から俺を見上げて、感謝の言葉を口にした。
「ああ」
 それ以上、咄嗟に言葉が見つからず、俺は差し入れた指先で、柔らかな恋人の髪をクシャリと静かに掻き回す。
 俺は、くすぐったそうに目を細める恋人を一瞥すると、二人の距離を縮めるように、ベッドの端に腰掛けた。
 互いの視線が同じ高さで交わると、また胸の奥がじんわりと熱くなる。
「それで、今日はどうする?せっかくお前の誕生日に、お互い休暇が取れたんだ。希望があれば、その通りにしよう」
 そうして俺は、話題を今日これからのことに切り換えた。
「そう、ですね……」
 俺の問いに、セイジュは曖昧に呟くと、少しの間口を閉ざして思案する。
 が、やがて。
 年下の恋人は、不意に瞳を輝かせると、楽しげに俺を見上げ、また薄い唇を解いた。
「それじゃあ、まずは新しい本が欲しいので、書店に付き合ってもらえますか?それから、そろそろリビングのクッションカバーも新調したいと思ってたから、それも買いに行きたいです。後は……そうだ!今日は天気もいいですから、せっかくなら何処かでランチボックスでも買って、お昼ご飯は緑の多い公園で食べるっていうのはどうですか?」
「……」
 ……。
 いや、他ならぬセイジュの希望がそれだというなら、俺に勿論異論はないが。
「何だ、随分と欲のない答えだな」
 それでも、あまりに慎ましい恋人の願いの数々に、俺は思わずそう呟かずにはいられない。
 するとセイジュは、苦笑を浮かべる俺を見詰め、はっきり大きく頷いた。
「ええ。だって、ケンショウさんと2人で穏やかに過ごせるのなら、僕には他に欲しいものなんてありませんから」
「ッ……!?」
 刹那、真っ直ぐに告げられたその言葉に、俺は小さく息を飲む。
(セイジュ……)
 言葉もなく、俺は目の前にある翠玉の双眸に魅入られる。
 セイジュは、僅かに白い頬を朱に染めながら、俺を見詰め、屈託なく笑っていた。
 まるで、今この瞬間が幸せで仕方が無い、という顔をして。
(……そう、か……)
 その微笑に、ようやく俺はセイジュの言葉が真実であると理解する。
 いや、違う。
 俺はとうにわかっていた筈だ。
 セイジュと二人、平穏であるという幸せの尊さをいつも噛み締めているのは、むしろ俺の方なのだから。
「そうだな」
 だから俺は、恋人に向かい、またおもむろに口角を持ち上げる。
「俺もお前とこうして二人で過ごせることが、何よりの喜びだ」
「ッ……ケンショウさん!」
 胸の奥に湧く思いを素直に言葉にしてみると、セイジュは途端に顔を綻ばせ、弾んだ声で俺を呼んだ。
 その響きに、俺もまた自分の心が幸福で満たされるのを自覚する。
「それでは、早く朝食を済ませて、お前の希望を叶えに行くか」
「はい!」
 そうして俺は、セイジュの手を取り、ベッドから立ち上がる。
 と、その矢先。
「あの……ケンショウさん」
 戸口の前まで来たところで、セイジュが後ろから俺を呼んだ。
「ん?」
 問うように振り替えると、青年は少しだけ、照れ臭そうに肩を竦める。
 そして……。
「本当に、ありがとうございます。僕、ケンショウさんにこんなふうに誕生日を祝って貰えて、すごく嬉しいです」
 セイジュは感慨深げに俺を見遣ると、小さな声で囁くようにそう告げた。
「……」
(セイジュ……)
 一体この青年は、どれだけ俺の胸の内を甘い感情で掻き乱せばいいのだろう。
 セイジュという存在は、俺にどれだけの安らぎと幸福を齎してくれるのだろう。
 その言葉と表情に、俺はまたそんなことを考える。
「セイジュ」
 だが、自分はそんな恋人に返す言葉を持ち合わせていない。
 だから俺は、甘やかな衝動のままセイジュとの距離を一歩詰めると、自分よりも小柄で華奢なその身体を、両腕でしっかりと抱き締めた。




<後書き>
セイ誕祭2010、1作目は何やらこのCPらしからぬ可愛い印象になってしまったケンセイです。ええ、今回は禁断の(?)料理の話とか、ちょっと出してしまいました。相変わらずセイジュが大事で仕方ないうえ、一人であれこれ考えているケンショウさんです。でも2人とも幸せそうな感じに出来て、自分ではちょっと気に入っています。
posted by 二月 at 09:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | BD企画2010【平行線】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月27日

「向日葵と太陽」 コウ×セイジュ

お題:「甘える方法が、わからなかっただけ」




 久し振りに、あの町でよく着ていた青いジャケットに袖を通す。
 途端、慣れ親しんだ布の感触に感慨に似たものを覚えて、僕は思わずすっと目を細くした。
「……」
 一つ深く息を吐いて、そのままゆっくり振り返る。
 すると、2歩半離れたところで、優しい金茶の双眸が、僕を静かに見つめていた。
 目が合うと、釣り上がり気味の眦が、小さく優しい弧を描く。
「準備、出来たか?」
「はい。もう全部終わりました」
 投げ掛けられたその言葉に、はっきりと顎を引く。
 するとコウさんはまた少し口許の笑みを深くして、おもむろに歩き出した。
 そうして、8歳年上の恋人は、傍にいた僕が手を伸ばすより早く、ベッドの上のボストンバッグをひょいと肩越しに担いでしまう。
「ッ……コウさん!荷物なら僕が持ちますから」
「ああ、いいって。久々に病院の外へ出るんだから、お前は身軽でいりゃいいさ」
「だけど……」
 諭すようなコウさんの声に瞬間的に苦い悔しさが込み上げて、僕は思わず唇を引き結ぶ。
 すると直後、器用に工具を操る大きな掌が、ポンと僕の肩に触れた。
「……」
「ったく、んな顔すんなよな。……今日だけだって。退院してちゃんと家へ帰るまで。それまでくらい、俺に世話を焼かせろよ」
「コウさん…」
 複雑な思いで見上げると、コウさんは僕を見たまま、ゆっくりと頷いた。
「約束する。明日からは、こんな過保護な真似は絶対にしねぇよ。だから……今くらい、いいだろ?」
 そうしてさらに一言そう付け加えて、とどめとばかりに満面の笑みで目配せ一つ。
(本当にもう、この人は……)
 こんなふうを言われたら、これ以上意地だけの反論なんて出来なくなる。
「…ッ!」
 思わず少し批難を込めて、高い位置にある顔を見上げたけれど、もうこんな僕の反応には慣れっこのコウさんは、ただ笑っていただけだった。
 そうして、僕が深々と溜息をつくと、それを了承と受け取った恋人は、僕の背を押し「行こうぜ」とさらに促す。
 その一言に、ようやく仕方ないと心を決め、僕はゆっくりと病室の戸口に向かって歩き始めた。

 申し訳ない話だけれど、今回の僕の入院費用は全てヤエタナ大統領の援助して貰っている。
 そのおかげで、通常なら必要な精算処理をすることもなく、お世話になったドクターや看護師さんに挨拶を済ませただけで、僕の退院手続きは完了した。
 最後に看護師さん達が、僕に小さな花束をくれた。
 小振りなアレンジの中心に置かれたのは、小さいけれど鮮やかに咲いた向日葵の花だった。
『いつも皆で、退院する患者さんにお祝いの花を選ぶんだけどね。今回は珍しく皆の意見が一致したの。セイジュさんには向日葵しかないって』
 コウさんと同じくらいの歳の看護師さんがそう言って花を差し出すと、後ろにいた皆は笑顔で幾度も。頷いていた。
『……そう、ですか…』
 ……正直少し……、いや、かなり照れ臭かったけど。
 でも、皆にこうして退院を祝ってもらえることは、やっぱりすごく嬉しいしありがたいと思う。
『……』
 僕は面映ゆさを噛み締めながら、手の中の花束をじっと見つめた。
 ……少し前まで、僕は自分自身の命の期限を目の当たりにして、限られた時間の中で自分に何が出来るか、そのことばかり考えていた。
 けれど……。
 いよいよ迎えた退院の日。
 もうそんな必要はないんだと、病気を克服した自分は、これから先にある未来を自由に描いていいんだと、僕は今そんなことを考えずにはいられない。
 目の前にある鮮やかな黄色の花は、そんな僕に「頑張れ」と静かなエールを贈ってくれてるような気がした。
 そう……。
 今日から僕はまた、新たな一歩を踏み出すんだ。
 その想いを噛み締めながら、僕は真っ直ぐに前を見る。
『本当に、お世話になりました。またトザに来た時には、皆さんに元気な顔を見せに来ますね』
 そう言って、僕は深々と頭を下げる。
 そうして一度、遙か遠い空を仰ぐと、僕はそのまま踵を返して、少し後ろで待っていたコウさんの方へ駆け寄った。
「……」
「……」
 言葉はなくても、何となくお互い言いたいことはわかる。
 僕達は、同時に小さく頷くと、肩を並べてガラス戸を潜り、外へ足を踏み出した。

 病室のガラス越しじゃなく、直に見上げた首都の空は、くすんだカイエンのものよりもずっと深い色をしていた。
 今までにも、病院の敷地内を歩いたことくらいはあったけど……。
 やっぱり僕自身の気持ちが違うせいだろう。
 手入れをされた周囲の緑も、頬を撫でる柔らかな風も、今日は何処か違う気がする。
 そんなことを考えれば、また口許に浮かぶ笑みは抑えきれない。
 と、刹那。
 そんな僕を横目で見遣って、コウさんが不意にクスリと小さく笑った。
「…?」
「いや…、何でもねぇよ。ただ、何だか随分楽しそうだなって、そんなふうに思っただけだ」
 問うように見上げると、肩を竦めて年上の人は、そんな言葉を口にする。
 少しだけ、照れ臭そうなその声に、僕も思わず口許の笑みを深くした。
「そんなの、当たり前じゃないですか。何ヶ月も病院にいて、ようやく外に出られるんですよ。嬉しくない訳がないでしょう?」
 そうして僕は、金茶色の瞳を真っ直ぐ見返しながら、はっきりとそう告げる。
 すると僕の答えを聞いて、高い位置にある唇が、またふっと優しい弧を描いた。
「ま、そりゃそうだよな。……しっかし、そういう顔を見てると、つくづく納得しちまうぜ」
「え…?」
「さっきの花……向日葵だよ。……俺もお前にはこの花だって皆の意見には賛成だからな」
「そう、なんですか?」
「ああ」
 僕がもう一度問い返すと、コウさんはすぐさまこくりと顎を引く。
「だってさ、鮮やかで前向きで、いつでも力いっぱい明るい方を目指してるとこなんて、そっくりだろ」
「コウさん……」
「はは、柄じゃねぇか。ちょっとばっかしキザだったかもしれねぇな」
「……」
 コウさんは、自分の言葉を、おどけた調子でそんなふうに笑い飛ばした。
 だけど……それに対して、僕はすぐに答えることが出来なかった。
 ……。
 顔が熱い。
 心臓が、さっきからドクドクいって落ち着かない。
「ッ…!」
 恥ずかしさに、僕は思わず足元へと視線を落とす。
 すると……。
「セイジュ…」
 今までよりも、さらに優しい響きの声で、コウさんが僕を呼んだ。
 そうして、伏せた視線のすぐ先に、大きな手がすっと伸ばされる。
「コウさん……!」
 勿論、その意図が、わからない訳がない。
 僕は反射的に顔を上げて、戸惑いが滲んだ声で大切な人の名前を呼ぶ。
 だけど、自分の目がまた金茶色の優しい光を捉えた瞬間、僕は反発や躊躇いの言葉さえ、もうすっかり無くしていた。
「……」
 差し出された手と、僕をすっぽり包み込んで、決して有無を言わせない笑顔。
 ―ッ…!―
 目の前にある、コウさんの存在に、僕は引き寄せられていく。
 そうして……。
 気付いた時にはもう、僕の手はコウさんの大きな手をギュッと握り締めていた。
「行こうぜ」
 コウさんは、僕の手を力を込めて握り返すと、まるで子どもみたいな顔で笑って、僕をぐっと引き寄せる。
「…ッ!」
 何も言えずにこくりと小さく頷くと、僕は促されるまま、大切な人の後に続いてまた歩き出した。
 僕はそれから暫くの間、半歩だけ前を行く恋人の横顔をただじっと見つめていた。
 ……。
 長身に精悍な顔立ち。
 僕とは違う広い背中に大きな手。
 ただでさえ、僕より6つも年上で……それなのに、時々さっきみたいに無邪気な少年のような顔で笑ったりする大切な大切な僕の…恋人。
 結局僕は、コウさんの言うことにいつだって敵わない。
 その事実は、悔しさと同時に甘やかな感情を僕の心に植えつけていた。
「狡いなぁ」
「ん?…何がだよ?」
 独り言で言ったつもりだったけど、どうやら聞こえてしまったらしい。
 不思議そうに振り返ったコウさんに、僕は咄嗟に口角を持ち上げながら、小さく左右に首を振った。
「いえ…大したことじゃないんです。ただ、こんなふうに誰かに手を引かれて歩くなんて、以前の僕なら子ども扱いされてるって絶対に嫌がった筈なのに、不思議と今こうしてるのは嫌じゃなくて……。こんなふうに思うのは、やっぱりコウさんだからなのかな。僕にこんなふうに思わせちゃうコウさんは狡いなって、そんなことを考えてしまっただけですよ」
「セイジュ」
 また自分を呼ぶ人の瞳を真っ直ぐに見返して、僕はそこで一つ小さく肩を竦めた。
「今ならわかります。カイエンにいた頃の僕は、人に甘える方法が、わからなかっただけだったんです。自分の力で何かをしたいっていうことだけに囚われて……その結果、僕は一人で立っていなくちゃいけない、人に頼ってしまったらそこで終わりだって、きっとそんなふうに考えていたんだと思います」
「……」
「でも、神様はそんな僕をコウさんと引き会わせてくれた。だから僕は今ここにいる。コウさんになら、どんな時でもこんなふうに素直に甘えられる気がするんです。おかしいな、どうしてだろう……。さっきコウさんは、僕を向日葵みたいだって言ったけど、それならコウさんはその向日葵の太陽、なのかもしれませんね。こんなふうに包み込まれて、引き寄せられずにいられない」
「セイジュ」
「ふふ、僕にもさっきのコウさんのが伝染っちゃったみたいです」
 驚いたようにこっちを見つめるコウさんに、そう言って僕は小さく喉を震わせる。
 そして僕は、改めて目の前に立つ大切な人を真っ直ぐに振り仰いだ。
「……?」
「本当は、ちょっとこんな自分が怖くもあるんです。このままコウさんの傍にいたら、僕は再現なく甘えてしまって、それこそ自分のことさえ出来なくなってしまいそうで。それじゃいけないなって思ったりして」
 そこで僕は、曖昧な笑みを浮かべて言葉を切る。
 と、刹那。
「馬ァ鹿…」
 不意にすぐ近くで、そんな微かな呟きが漏れる。
 そうしてコウさんは、苦い笑みを口の端に張り付けながら、僕の手を包む指先にさらにグッと力を込めた。
「コウさん…?」
「ったくお前は……何そんな余計な心配してんだよ。お前がそんなふうになる訳がねぇじゃねぇか」
「え、でも……」
 コウさんからそう言って貰えるのは、勿論有り難いけれど、それじゃ自分が納得出来ない。
 そう思って、僕は思わず唇を引き結ぶ。
 するとコウさんは、僕の様子に一つ小さく嘆息した後、宥めるように軽くまた掴んだ右の手を引いた。
「セイジュ、俺はお前が一人で歩けるヤツだから、こんなふうについ甘やかしたくなるんだよ。だから…そんなことは気にすんな」
「コウさん……」
「大丈夫だって。んな顔しなくても、お前はそんなふうに変わったりしない。むしろ、身体が完全に回復したらまた一人で無茶をするんじゃねぇかって、俺が心配してるのはそっちだぜ」
「それは……コウさんがそう言うのも、わかる気はしますけど……」
 今までが今までだから、さすがに僕もそう答えずにはいられない。
 するとその返事に、コウさんはまたニッと口許の笑みを深くした。
「だろ?だからお前は安心して、好きな時に俺に甘えてくりゃいいんだよ」
 そう言って、年上の恋人は酷く満足そうな顔をして、またふっと金茶色の眦を細くする。
「ッ……」
 その輝きが何だかすごく優しくて暖かくて……。
 僕は結局散々迷いに迷った挙げ句、小さく顎を引いてしまった。
「セイジュ…!」
 それを見て、目の前の顔にパッと明るい笑みが弾ける。
 コウさんは満面の笑顔で大きく何度も頷くと、僕の方へまたグッと身体を寄せて来た。
 そして……。
「だけどなセイジュ、一つだけ約束してくれ」
 至近距離で目を合わせると、コウさんはさらにそんな言葉を口にする。
「…約束、ですか?」
「ああ、そうだ。いいか、セイジュ……お前が甘えていいのは、俺だけだからな」
 そうして年上の恋人は、何の臆面もなく僕にそう囁いた。
 ――ッ……!!――
 その一言に、僕は今度こそ、完全に返す言葉を失った。
 いや、それどころか満足にコウさんの顔さえ見られない。
 ……。
 ………。
 酷く動揺して、頬の熱さと鼓動の速さを感じながら、どれだけの時間が流れただろう。
 恥ずかしいのを我慢してやっとの想いで見上げると、鼻先が触れる程近い距離から、コウさんは僕を真っ直ぐ見つめていた。
 目が合うと、「どうした?」と聞くみたいに年上の人は僕の顔を覗き込む。
(……本当に、この人は……!)
「やっぱり…」
「ん?」
「やっぱり、コウさんは狡いです……」
 その顔を睨みながら、僕は強引に口を開いて、たどたどしくそう告げた。
 と、直後。そんな僕にきょとんと目を見開くと、一拍置いて、コウさんは堪えきれずに吹き出した。
「ッ……コウさん!」
「はははは……、悪ぃ悪ぃ」
 ……。
 悪いと言ってはいるものの、まったくそう思っているように感じない。
「ッ!」
 反射的に、さらにきつく金茶の瞳を睨みつけると、ようやく笑いを治めたコウさんは、参ったと言いたげに、1つ小さく肩をすくめた。
「悪かったよ。……まあそう言うなって。俺をこんなふうに甘やかしたいって思わせるのも、お前だけ、なんだからさ」
 そうしてコウさんは、酷く甘い響きの声で、囁くようにそう告げる。
「ッ………本当、ですか?」
「ああ、勿論」
「…わかりました。なら、特別に許してあげます」
 どうやら、これ以上抵抗しても、僕に勝ち目はないらしい。
 そう思い至って、ようやく僕は、コウさんの言葉を受け入れる。
「サンキュ」
 コウさんは、僕の答えに、簡潔な感謝の言葉を口にした。
 それを聞いて、僕はようやく「まあいいか」という気になって、一つ小さな吐息を漏らす。
 ……。
 一息ついて改めて正面を見上げると、僕のすぐ目の前で金茶色の2つの瞳が、日の光にキラキラと揺れていた。
 温かくて、鮮やかで、力強い色の双眸。
 明るい昼の輝きを溶かし込んだみたいなその色は、やっぱり太陽みたいだと、僕は今改めて考える。
「コウさん……」
 名前を呼ぶと、僕の意図を察知した瞳が、またふっと優しい弧を描く。
 その中に自分の顔が映り込むのを確かめてから、僕は大きなコウさんの手に促されるまま、ゆっくりと両の目を閉じて恋人からの甘いキスを受け入れた。




<後書き>
当ブログ3周年を記念して書きました、コウセイです。久々に書いたら……何でしょう、この甘いの。書いている本人、2人にあてられっぱなしでおりました。どうやら、4年目に突入しても、コウセイの馬鹿っぷるは変わらないみたいです。
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